原発と放射能を考えるページ   No.1
 

原発問題に反応 - K

2012/06/26 (Tue) 18:35:10

この国の将来を、今の指導者たちに任せられないという気持ちが非常強い。

いったい何なんだろう?
福島の原発事故とその後の対応、なぜ情報をひたすら隠蔽する?
第二次世界大戦の惨めな敗戦に至る過程で得た教訓は?
広島と長崎に原爆を落とされたのに、自国民の原爆被爆者をどう扱ってきた?
企業や官庁の都合で公害や薬害の被害者をどう扱ってきた?
裁判所・検察庁は政府・霞が関に都合の悪い政治家や活動家をどう扱ってきた?


反省も改善もない中、安全を無視して、ただただ強引に原発を再起動させようとする。
机上以外では、何の改善策も施されていないのに。

いままでの経験や、この社会システムがどういうことをしてきたか、失敗を教訓として、なぜ変えられないのだろうか?大問題を発生させて責任を取るべき人が平気な顔をしていまだに居座っている。それを止めたり、変更させたりすべき人たちも素知らぬ顔をしている。

食中毒や損失隠しをした会社に対しては、つぶれて当たり前と、責任者の逮捕やメディアが強烈なバッシングがある。下らない芸能人の不祥事にもあえてコメンテーターがしたり顔で意見を言い、教訓を垂れる。オウム事件の逮捕者のニュースを長時間かけて解説する。「検察の捏造」、「消費税」、「TPP問題」などもっと我々が考えないといけない問題がたくさんあるはず。

みなさまのNHKは先週金曜日の「原発再稼働反対で45,000人が首相官邸を取り囲んだデモ」を報道しようともない。この国の大メディアには、お金や力のある人のいいなりになり、むしろ積極的にお先棒をかついでいるようだ。この国はジャーナリスト精神を持った人が大メディアをまっとうに機能させる土壌ではないようだ。

1986
年に事故を起こしたチェルノブイリでは遺伝子異常の問題は現在進行形で存在する。ベラルーシの人口も大幅に減少した。福島はチェルノブイリよりも深刻な問題を抱えているかもしれない。

福島の事故で日本の社会は根底から変わってしまったと認識すべきだと思う。安全・安心に関して素晴らしいシステムをもった国だと、これまで他国の人々から尊敬のまなざしで見られ続けてきたことが、一気に崩れ去ってしまった。日本の輸出品は食品に限らず、工業製品も放射能の自主検査を課せられ、輸入先でも検査される。

事故を起こした福島第一の原発問題もまだ予断を許さない中、他の原発を次々と再起動させることに必死になるなんて、ほとんど気が触れた行為だと思う。再起動させた原発の数だけ、事故を起こす可能性を高め、再び起きれば、日本を担う子供たちの未来をすべて奪ってしまう。最悪、世界中を汚染してしまう可能性すらある。これがいかに重大なことかに気づくべきなのです。原発事故の亡国より停電の方がはるかにいいに決まっている。

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Re: 原発問題に反応 - N

2012/06/26 (Tue) 20:34:37

K氏の意見に一票。

以下の文章は、「311」から一ヶ月過ぎた頃、自分のブログに書いたものです。この掲示板にも同じような事を書いたおぼえがあります。


「我らが「凶器」の生き延びる道を教えよ!」

桜が満開になりつつある。桜の花の色が、目に入ってこない。色を失っている。311-2011を境にして、景色がフルカラーからモノクロームになってしまった。見るもののすべてが悲しく見える。惨劇を前にして、言うべき言葉をもたない。胸の奥の何かが損なわれたような喪失感、敗北感がある。それは、一月以上ブログの更新が出来ないほどの、空しさ、を与え続けている。しかし、言葉を振り絞り、つづってみよう。

地震・津波は「天災」であるが、原発震災は「人災」である。メデイアで誰かが言っていた。311日は夕方までこの悲劇を知らなかった。現場から事務所に帰ってテレビを点けると、「ヒア・アフター」で見たような、しかも、CGではない世界が広がっていた。立っている地点から崩れ落ちていくような墜落感を持った。大津波のあと余震は続き、原発震災が悲劇を拡大させていた。1972年・連合赤軍事件の時のように、テレビに齧り付いていた。

そこに見られたのは、右往左往するリーダーの姿であり「非常時」に機能しない官僚組織であった。それらは僕たちが選び作り上げた物の姿であった。鏡に映った僕たち自身なのだ。原発の危険性は早くから指摘され、原発事故があるたび報道されていた。チェリノブイリ・スリーマイルズ島のケースでは「日本の原発は大丈夫」と洗脳され、僕たちは「おいしい生活」を送り「バブル経済」に踊った。僕たちは曖昧な真空地帯に「原子力行政」を置き去りにした。原子力を巡る「政・財・官・学」の癒着とその談合体制に目を瞑った。

「僕たちの失敗」がそこにある。1972年以降政治に働きかけようとする意思を失い続けてきた「戦争を知らない子供たち」の失敗である。1991年のバブル崩壊を「第二の敗戦」と呼ばれるが、20年間のダッチロールを経て「新帝国主義」の時代に最悪の悲劇になろうとしている。「戦争を知らない子供たち」の民主主義は一敗地にまみれたのだ。敗者復活戦である。「草の根」からやり直すしかない。アメリカから押し付けられたモノではない、自前の民主主義だ。

リーダーや官僚が見せる醜態は、太平洋戦争時の指導部とあまり変わらない。オペレーションに対して「戦略・戦術」がなく、合理的な判断やスピード感のあるミッションが下せない。現状把握がいいかげんで、アグレッシブな危機管理が出来ない。情報解析が常に自分の都合の良い方へ読解され、適切な情報発信が出来ない。狭いセクショナリズムに支配されて、大局観が持てない。最期は、狂度の精神主義による、カミカゼトクベツコウゲキタイ。

原発震災復旧の現場はどうなんだろう。自衛隊・警察・消防の命を惜しまない献身も然る事ながら、東電の協力会社という名の「下請け」で働く現場作業員のことを思うと胸が詰まる。満足な食事や睡眠も与えられずに身を削って最前線で奮闘されている彼らの状況を知らされると、最下層の弱い所に現場の責任が結果的に押し付けられている事を感じる。彼らを現代の「特攻隊」にしてはならない。

「想定外」とはなんだろう。「想定」とは与条件のこと。与条件の設定が甘かったから、「想定外」の事が起こったという事で済むのだろうか。今回の震災で学習した事は、「原子力」を扱っている限り常に「想定外」の事が起こる可能性があるということ。僕たちは余りにも無防備に「文明」を盲信したのではないか?「原子力」はアンタッチヤブル・ゾーンにある「神の火」だったのではないか?

それにしても既製メデイアの「愚鈍さ」はどうだ。テレビの画面に映る多数の「原発推進派」という御用学者の面々。時間の経過とともにジリジリと後退する「安全性」。報道の中立性を謳うのであれば、「原発の危険性」を訴える「脱原発派」の学者も一緒に並べて議論するべきである。「原発の危険性」を指摘する「脱原発派」の論説をあたかも「デマ情報」や「チェーンメール」のような扱いで叩くのはいかがなものだろうか?大変深刻な事態なのに「健康にすぐに被害はない」と軽く言い切れるのだろうか?政府広報をそのまま検証もなしに記事にする大談合組織「記者クラブ」メンバーの批評精神の欠如は、「大本営発表」をそのまま鵜呑みにした先の大戦下の新聞・ラジオの姿と全くパラレルである。

それでは僕たちは原発の存在を0に出来るほど節電出来るのだろうか?手始めに自動販売機をなくす事から始めたらどうだろう。更に現在の電気使用量を「10%カット」を目標にやってみる。当然自然エネルギーの発電量は増やしていく。九州の原発依存度は50%程度あるから、それでも難しいかもしれない。原発の存在が過渡的に必要であるのだとすれば、全ての情報をオープンにし全国民的議論を起こしメリットおよびデメリットを精査し国民投票のような形で決定するしかないだろう。リスクを引き受ける国民的コンセンサスが要求される。そういうステップを踏んでゆけば、僕たちの民主主義は一段高い位置に上ることができる。過渡的に原発を使用するのであれば日本の高い技術力を生かして、超安全な物にしなければならない・・・しかし・・・・・

神よ、仏よ! 我らが「凶器」に生き延びる道はあるのか!

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Re: 原発問題に反応 - K

2012/06/26 (Tue) 22:11:29


2011
46日に複数の政治家に送ったものです。
今読みなおして、ほとんど変わっていないというか、悪化の一途をたどっているような気がします。


福島原発の放射能の漏出を早く止めて! 
至急現地対策本部を! 
日本人の科学者たちは立ち上がらないのですか!

地震発生から原発事故以降これまでの政府(首相・官房長官)、役人(原子力安全・保安院)、会社(東京電力)の対応とテレビ・新聞の報道は、物理や生物を学んだ人なら簡単に嘘と分るようなことを平気で言い続けています。

水素爆発による放射性物質の飛散。水をかけ続けなければ止められない炉心溶融。それに伴う高濃度の汚染された水の流出。福島原発要の放射線モニターの意図的な停止(こういうときのためにこそある装置の数値を発表しない)。平気で安全基準値を変更してしまう乱暴なやり方。Speediをほとんど使わないなど。

こういう時にこそ使うべき安全のための装置やシステムをフル稼働させなくてはならないのにそういう安全装置を機能させないなんて、ほんとにひどいですね。役所や企業のホームページに書いてある安全のお題目がほとんどブラックジョークになるというのがほんとに情けないです。

日本の科学者たちは何をしているのでしょうか?特にノーベル賞をもらった人たちは先頭に立って警鐘を鳴らすべきではないでしょうか?科学者の知恵を今こそフル稼働すべきだと思うのですが。

先ずやるべき(またはやらせる)ことは、放射能発生を止めるための現地対策本部をいち早く作ること。ここには政府の政治家(枝野氏?本来プロに近い専任をあて、官房長官は震災復興全般でもっとやるべきことがあると思います。記者会見での伝聞の報告をすべきでないと思います。)、管轄する官庁(原子力安全・保安院、原子力安全委員会)、東京電力を筆頭に各電力会社の専門家、および日本の頭脳というべき科学者チーム。また、海外の応援スタッフを加えることができればなおいいと思います。

場所は避難勧告が出ている20Km近辺で出来るだけ原発に近い施設。記者会見と質疑応答はここで行う。そうすれば記者の質問も自然真剣になると思います。

役所
あるいは意図しての的を得ない発言の繰り返しているとしか思えません。ほんとに情けないと思います。大きな組織を仕切っている指導者は自分のことしか考えていないみっともない輩ばかりではないかと思っています。これらの人々には人格者(死語になりつつありますか?)は全くいないようですね。

ちょっと思いつく疑問だけでも
1. なぜ官房長官、原子力安全・保安院、東京電力と内閣府の原子力安全委員会も含めた合同記者発表をしない?
2. なぜ現地対策本部を設置しない?
*
政府が避難勧告を出した原発から20Km近辺に設置すべき。
*
同心円の距離で決めてしまうのはおかしくて、風向きにより飛散・分布が違う。
(せっかくSPEEDIがあるのに)
*
記者発表はここですべき、そうでないと質問する記者にも緊迫感ない。
3. なぜ問題の原発の周りにある自動監視モニターの数値は3月12日以降公表しない?
事故のなかった安全な低い数値の時しか作動しないなんておかしい。
第一の18台が一度に壊れるなんてありえない、第二にある15台も動いていない。
(今は表示されています、原発に近いモニターは計測不能または流失だった。)
4. なぜSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)がすぐに活用されていなかった?事故発生後10日以上たってからこれを使ったデータ公表、それでも不十分。
5. なぜ事故を起こした原子炉を最終的にはどう処理するかを発表しない?(やっとした)
海水をかけた1〜4号機は全く修復不可能で、廃炉にするしかない筈です。廃炉にするにしても人体に影響を及ぼす大量の放射線が放出され続けているので、放射性を発する物質の処理が必要。破損した1〜4号機の処理には、かなりの人力による作業が必要で、高濃度の放射線を浴びながら相当数の人が犠牲(被曝の後遺症や生命)を強いられるのではないでしょうか。廃炉にした後も人体に影響を及ぼす放射線が出続けているので、近接の5、6号機も運転はかなわず、廃炉にする必要がある。廃炉にしてからも全6機全部ずっと低温維持(10年以上?)の監視が必要なのでしょう。

地震による倒壊や津波で被害を受けられた方々に対しては申し訳ない言い方ではありますが、自然災害による被害は時間の経過とともに人間が受けた傷のように徐々に治癒していき、時間の経過が全体としてはマイナスに向くことにはならないと思います。

福島原発の問題は一秒でも早く処置しないと、時間の経過とともにどんどんマイナスが蓄積し、ますます深刻な状態になります。放射能物質の飛散や漏出をとめないと、生物や人(日本に住む人だけでなく世界中の人に)に与える影響はとても大きいのです。

もう我々の年代(50代後半)ではいまから子供をつくる人はほとんどいないでしょうから、放射線を少々あびてガンになり、死んだとしても人類全体からみればあまり影響はないでしょう。また、一般的には細胞が古くなっているので細胞分裂は不活発で、ガンを発症してもの若年層の急速な進行に比べ、高齢者では進行がゆるやかです。もちろん例外はありますが。

ところが細胞分裂が盛んな胎児、赤ん坊、幼児、学童、思春期の青少年に対しては特に深刻です。成長期には変化にとても寛容なプログラムで細胞分裂を続けているので放射線の影響をとれも受けやすいのです。またこれから子供をつくる大人に対しても大きな問題です。この時期に放射線を浴びて遺伝子が変化するとそのプログラムは子孫に伝える可能性が大なのです。子孫に不具合な遺伝子を渡してしまうことになるのかもしれないのです。

この事故で日本の社会は根底から変わってしまうのでしょうね。日本東部がしばらく半身不随になりそうです。戦後65年以上他の国の人々からも安全・安心に関してだけは、素晴らしい国と尊敬のまなざしで見られ続けてきたことが、この取り返しのつかない過ちで、一気に地に落ちるでしょう。この重大な事情の変化に気づく日本人はいったいどれだけいるのでしょうか?

こんな事故を起こすことを許したのは、特に高学歴の日本人の社会を監視する目が曇っていたのでしょうね。〇〇さんにはぜひ今回の事故を総括して、なにが悪かったかを徹底的に検証して、日本人がどんな新しい社会を築き直すかの先頭に立つリーダーになってほしいと思います。

15〜20年後ぐらいに3月11日以降ということで語られるのでしょうか?

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Re: 原発問題に反応 - N

2012/06/27 (Wed) 09:22:55

「原発問題」はこの板にふさわしくないと分かっていながら、野暮を承知で書き綴っています。

「声を挙げる」というのは敷居は高いけれど、難しいものではありません。「こうたき氏」のように自分の主張・要望を明善の先輩である「衆議院議員・古賀一成氏」に「メール・FAX」を送付するというのは、そんなにハードルは高くはないですヨネ。きょうは「九電株主総会」ですが、九電周辺で「サウンドデモ」があります。また、7/16には16時から「冷泉公園」で「脱原発集会」が計画されています。デモといっても、70年代のセクト中心のモノではなく、「自立した個人」が主体です。子連れのヤンママも多く、「デモ」というより「パレード」と呼ぶのがふさわしいほどカジュアルです。

僕は「市民運動」のカテゴリーに属する事を、無理をせず、やっていこうと思っています。まあ、長いタタカイになるとは思います・・・。その中で、栄三郎氏の御長兄とアチコチで御一緒になることがあり、ほんとに世間は狭い・・・。

ああ・・それから、時々この板に投稿されるEXZY氏は「イエローケーキ」という脱原発映画の上映をRさん・N氏などと主催されました。脱原発を謳わない「文化サークル」の主催は非常に珍しいことです。これもひとつの市民による自己表現・情報発信の仕方だと思います。(不肖・西村も、情宣のお手伝いをさせていただきました・・・)

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Re: 原発問題に反応 - K

2012/06/28 (Thu) 12:38:26

昨日(2012627日)79名の衆参両院議員による「原発ゼロの会」が「政策提言骨子」の発表をしました。

これで一区切りとします。


〜原発ゼロの会への参加の呼びかけ〜

東京電力福島第一原発事故を踏まえて、我が国の政治がなすべき第一は、「原発ゼ ロ」に向かうという決断である。事故後、国民の中に広範に生まれた「原発ゼロ」へ の思いを受け止め、また、世界に向けて我が国の立場を明確にするためにも、政治が 原発ゼロにむけたしっかりとした論議と政策選択を行うべきと考える。

私たち「原発ゼロの会」は、本年3月下旬から、79名の衆参両院議員による準備会合を積み重ね、このたび政策論議ための骨子を発表するとともに、広く衆参両院議員各位に「原発ゼロの会」へのご参加を呼びかける。

原発ゼロの会メンバー

民主党
近藤 昭一(衆議院議員)
逢坂 誠二(衆議院議員)

自民党
河野 太郎(衆議院議員)
http://www.taro.org/
長谷川 岳(参議院議員)

公明党
加藤 修一(参議院議員)

みんなの党
山内 康一(衆議院議員)

日本共産党
笠井 亮(衆議院議員)

社民党
阿部 知子(衆議院議員)(事務局)

新党きづな
斎藤 やすのり(衆議院議員)
http://saito-san.sblo.jp/

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