原発と放射能を考えるページ   No.6

素朴な質問 - N

2012/07/05 (Thu) 02:46:46

>H.Nは、「反原発」とは逆の立場に近いです。玄海原発を作ったときから、チェルノブイリ級の事故を起こせば、北部九州はなかったことにしないとダメなことは分かっていたはずです。発電しなかったからといって安全なわけではありません。今でも断水させれば、アウトです。(怖がらせてごめんなさい)

上記の部分についての、H.N氏の詳しい知見を教えてください。

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Re: 素朴な質問 - H.N

2012/07/06 (Fri) 00:53:07

まず、
>H.Nは、「反原発」とは逆の立場に近いです。
から。
私が「原発」に持つ感情、理解は、平均的国民感情、理解と比べると、「反原発よりは推進派に近い側」に見られる立場にあり、そういう立ち位置からの発言です。という事を前もって宣言しておかないと誤解を招くので一言書いたのですが、説明不足で「何これ?」と思われたと思います。
前の発言の時は、いろいろ書くことがあって、こんな表現しか出来ませんでした。N君がちゃんと説明する機会を作ってくれたので、少し長くなりますが、聞いてください。

「原爆=原発=悪」と直感的に思っている人たちが多いのではと思いますが、「原爆(核兵器)=悪」は、日本人なら当然と考えますが、やっと米国でも「必要悪」から「最悪」という認識になって核兵器「全廃」への道を進んでいます。原爆でさえ、やっとこんな認識なのです。勿論、私も核兵器はダメだと思っています。
では、「原発=最悪」は本当なのでしょうか?
余り言葉が過ぎると、子供服メーカーの社長みたいに袋叩きに会うので、難しいのですが、(かの社長も儲け主義のためだけに再稼動すべしと言ったのではないと信じます。リスク管理の観点からの発言だったのだと思います。)

「原発=危険=悪」という考え方
危険の許容範囲は何処までなんでしょう?
釘を打つ時、とんかちで指を叩いた(痛かったけど我慢できる)、カッターナイフでも痛い思いした。調理中包丁で怪我した。この程度は、かなりの人に許容範囲(鉛筆も削れない子供、大人が多数なので、若い人にはナイフはダメといわれるかも)
工場で機械で大怪我した。大事故があった。(本人が悪い、安全管理が悪い。でもまだ、工場潰せ、機械無くせとはあまり言わない)
次々に「危険のレベル」を揚げていくうちに、
「車は毎年日本だけでも1万人以上の死傷者を出している(でも、車社会やめようといわないよね)」が例として出されたのでしょう。
更に危険度を上げて進めていくと、「原発=危険(許容できない危険)」になっていく。という発想です。このときに、「原発=危険(まだ許容できる危険)」と考える人たちも居る。この人たちは「金儲けだけしか考えないヒトデナシ」なのでしょうか?
何故「許容できる危険」と考えているのでしょうか。
逆に、「許容できない危険」と考えている人たちは、何をもって、その結論に達したのでしょうか?「

「原発=絶対悪」
私は、「絶対の善悪」或いは「絶対許容できない危険」「絶対安全」というのは無いと思っています。(もうここで見解の相違が出る人も居るでしょうが)
普通に思っている「絶対」というのは「コモンセンス」からの既成?概念で、各自が線引きしている所がほぼ同じレベルなので「絶対」と思っているだけではないでしょうか。特に日本では、いろいろな意味で「単一国家」に近いので「コモンセンス(世間の常識)=絶対」が確立しやすいのだと思いますが、少数の違う意見の人(線引きが違う人)もいることも理解してください。その人たちがおかしいのではなく、その人たちの文化的背景が違うため「感性」が違うのだということを。勿論お互いに話し合えば、共通理解できる点が決まる、自分が絶対正しいと思っていては、先に進みません(この文そのものが自己矛盾していますが)私はそう思います。

私は「原子力」業界ではありませんが、「近い業界」(加速器で実験するため放射線取扱従事者)なので、「原発は、これこれなので危険」とする意見に対して、反論する意見を多数見聞きしています。(その反論に共鳴するかは、別ですが)このためか、すんなり「原発=危険=悪」という図式に載れないのです。

「脱(今の)原発」は必要と思いますが、「(今の)原発」が何故存在するのか、別の言い方をすると、(今の)原発の功罪の「功」的なものについて、別の投稿をします。
日本中が「反原発」に向かっているところでそんな物を書くと本当は良くないのでしょうが。

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Re2: 素朴な質問 - H.N

2012/07/06 (Fri) 02:35:19

>玄海原発を作ったときから、
「こげな原発、いらんばい」と反対運動をしたにも拘わらず、日本全国あちこちに原発が出来てしまいました。
何故、原発が必要だったのでしょう?

日本で原発の建設が相次いだのは、1970年代の前半、九州では1970後半からで、台数は少ないものの、今の原発立地箇所はほぼこの時の場所です。その後は、2号機、3号機と作り、日本の電気需要をまかなって来ました。原発を作らなかったら、どうなっていたんでしょう。

時は高度成長目指して、「もったいない」の思想から「垂れ流し」「使い捨て」が美徳?の時代へと「狂想曲」が流れていた時です。
それでも「原発」より「石油」をバンバン使ってもっと大気汚染をしてたが良かったと言いたいところですが、「石油」を買う経済力もなく、「うちには原発があるから、石油はいらんばい」と嘘つきながら、せっせと「安く」石油を輸入して「経済大国」になった。今となっては、このときに水俣病とか、四日市喘息とかの「公害」を生み、「やはり要らんかった原発」を残したと。
あの時に、「経済」より「心」の豊かさでもって、「幸福」を求めるべきだったのでしょう。でもあの時(丁度私たちの青春時代)は、「経済成長が豊かさのバロメータ」であり、私たちも大半はそれを目指した。
当時はまだ、大型の太陽光発電や風力発電はコストが高く実用化は殆どされていず、原発に頼るしかなかった。

高度成長を遂げた後だから、「原発いらん」と言えるだけで、福島を見るまで、チェルノブイリがあっても、知らん顔してたのは自分なのです。

原発を作る時も、スリーマイルの時も、25年前のチェルノブイリのときも、ずうっと「あげな原発いらない」と声を上げ続ける少数派の人たちを無視?して来たのに。
今こそ、この人たちの話を良く聞いてください。

そして、今度は逆の立場になった「反原発を唱えない少数派」の異見(typoだけどこちらがしっくり来るのかも)も。

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Re: 素朴な質問 - H.N

2012/07/06 (Fri) 03:49:07

>玄海原発を作ったときから、チェルノブイリ級の事故を起こせば、北部九州はなかったことにしないとダメ

チェルノブイリは、もともと原発仕様で無く、原爆製造用だった。これを改造して、なんと炭(炭素)が放射線遮蔽体として使われているという、一旦燃え出せば手が付けられなくなる構造でした。これが「チェルノブイリ」と「フクシマ」は違うという人たちの根拠その1です。
チェルノブイリでは炭素も燃えたため、放射性物質を煙と共に遠くまで運び、運が悪いことに風向きが二転三転して、ヨーロッパ中を放射能の灰で汚染したのです。このとき半径30km(当初60km)?は住めなくなってしまいました。今でも、メンテナンス要員だけしか立ち入り禁止のはず。30万人くらいが移住を余儀なくされた。
これを同規模で玄海に当てはめると、人口密度の違いを考えると、数百万人が移住する規模即ち、長崎、佐賀、福岡は県外避難、最悪のシナリオの書き方にもよるが、半径100kmは数年か数十年か使えないと想定できます。
そういう危険を覚悟して、建設したんだと、私は思っている。(実際に起こるとは誰も思っていない規模の事故ですが、チェルノブイリ以後はそういう視野も必要です)

しかし、フクシマ以前の法律では、大事故が起きたら、
立地の「玄海町」、隣接の「唐津市」、県の「佐賀県」に連絡が行き、国に行き、「福岡市」も「福岡県」も連絡網には無かった。国に連絡が入った頃には、偏西風の風下の「福岡」は、たぶん汚染されているし、連絡すると数百万人が移動するパニックが起きるので、黙って関門海峡封鎖(福岡はなかったことに)なんてのが、本気で考えられる。という事です。(棄民ですね)

九電は、他の電力会社よりエラー(小トラブル)が少ないので、そんな事故は起きないと想定していますが、でも、起きたときは、そんなもんもアリかも。あまりにも酷い想定なので、眠れなくなるほど心配はしないで下さい。

「フクシマ」のときも、息子の住む東京との距離を測りました。荒川まで約200kmで、事故が起きても、偏西風の風上だし、避難する時間は充分取れそうですが、今度は数千万人の移動になるので、やはりパニックが起きるだろうと。息子には、東京も避難が必要だと私が判断したら連絡するので、いつでも逃げ出せるように非常袋を用意するように言っておりました。幸いそのような状況の一歩手前で持ちこたえましたが。
官邸でも最悪数千万人が避難する(東京を捨てる)事態を想定してパニックになったんだと思います。指揮官がパニックになってはいけません。官邸の「大嫌いな官僚たち」はちゃんと色んな準備をして待機していたのに後手後手になって、傷口を広げてしまいました。東京の風上、100km以内にあった原発を何故か慌てて停止させたのも、東京がやられるのが、よほど怖かったのでしょう。自分のことしか考えない嫌な奴と思いました。(私も息子のことしか考えていないのでそんなこと言えませんが)

フォームの始まフォームの終わりRe: 素朴な質問 - H.N

2012/07/06 (Fri) 04:32:58

>発電しなかったからといって安全なわけではありません。今でも断水させれば、アウトです。

発電用原子炉は、ウランの核分裂の連鎖反応(将棋倒しのように、1つの核分裂で出た中性子が、次のウランの核分裂を誘発し、次々に起きていく)を利用しています。反応から出る中性子をウランに当る前に吸い取れば、連鎖反応が止まり、一気に起こるようにすれば原爆が作れます。制御棒と呼んでいる物は、この中性子を吸い取る物質で出来ています。原子炉では、燃料棒は離れて設置されているので、そのままでは原爆にはなりません。
連鎖反応が起きないようにした状態(制御棒を突っ込んだ状態)=原子炉停止中の時でも、ウランは半減期45億年で自発核分裂しています。半減期が45億年あるから、地球が出来て46億年たっても地球に存在するのですが。自発核分裂すると、やはり熱が出ます。この熱を冷却水をまわしてとってやらないと、いけません、止めてすぐの時は、連鎖反応をして出来た分裂片もまた熱を出すので、強力な冷却装置が必要なのです。これらの冷却装置の電源は、原子炉付属からだけで無く、外部からも引いてあります(この原子炉は、もう発電していないのですから)
冷却の問題だけ考えれば、発電しようが、停止しようが程度は違いますが同じように手間もコストもかかるのです。
それ(同じ)なら「再稼動しろ」というのが、「再稼動賛成」の意見の一つなのです。
「再稼動しなければ安全」のような錯覚を与えるような報道だけして、「再稼動しないときもそれなりに危険」ということをマスコミは取り上げません。あおって視聴率だけを稼ぐことしか考えていないとしか言いようがありません。

勿論、「稼働中」と「停止中」で冷却だけが問題ではありません。どのくらい放射線が出るかとかは、かなり違いますが、「再稼動」しないと、これらがすべてなくなるかのような、また別の「安全神話」はやめて欲しいなと。

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