原発と放射能を考えるページ   No.7

Re: 素朴な質問 - N

2012/07/06 (Fri) 06:06:57

まず最初に、H.N氏に、丁寧に回答されたことに対して深い感謝と敬意を表します。

まず「議論が尽きない」という事を前提に、総論的・総花的になりますが、以下の論点を提示します。

「原子力資料情報室」が作成したものです。


@原発が抱える15の問題
   
1
、核拡散、核テロリズムの危険性がある。また、その防止のためとして社会的自由が制限されたり、危機回避に必要な情報まで開示されなかったりする。

2
、大事故の危険性がある。

3
、平常運転時にも、労働者の被爆、環境の放射能汚染を伴う。

4
、数万年を越える管理を必要とする高レベル放射性廃棄物をはじめとして、大量かつ種々雑多な放射性廃棄物を発生させる。

5
、エネルギー利用のメリットを得る者と危険性を引き受ける者とが、地域的あるいは世代的に不公平である。

6
、プルトニウムを本格的に利用しようとすれば世界中をプルトニウムが動き回る事態となり、核拡散・事故の危険性を大きくする。(現実にはその可能性が高いのであるが)プルトニウムが本格的に利用できないとすれば、ウランの資源量は石油と比べてすら遥かに小さく、原子力利用の抱える問題の大きさに全く合わない。

7
、原子力は電気しか作れないためにエネルギーの利用形態を電気に特化し、「省エネルギー」に逆行する事になる。電気が止まったら何も出来ないような、脆弱な社会を招いてしまう事になる。

8
、原発では電力需要の変動に対応できない。原発を増やせば調整用の他の電源も増やす事になり、ますます電力化を進める事になる。

9
、原発は事故で運転を止める事が多く、しかも出力が大きいため、電力供給の安定性を脅かす。その対策として、低出力で運転しながら待機している火力発電所や、揚水発電所を必要とする。

10
、原発は大都市から離れた所に建設されるため、超高圧の送電線を新設しなくてはならない。そのため、経済的に大きな負担を強いられる事になる。鉄塔・送電線に大量のエネルギーを消費し、送電ロスを伴い、電磁波の影響まで考慮に入れると、環境の悪化を促進する事になる。また、長距離送電は電圧・周波数の維持を困難にするので、電力供給の安定性を脅かす。

11
、原子力発電は、原発があるだけでは出来ない。ウラン鉱石を掘り出し燃料を製造するための施設、放射性廃棄物の後始末のための施設など、所謂核燃料サイクルの関連施設が必要となってくる。これらの施設に加えて、原発のためのその他の電源、送電、研究開発費などを含めた原発のトータル・コストは、きわめて大きくなってくる。

12
、今まで述べてきた原発の特性は、エネルギー計画から柔軟性を奪い、エネルギー源の多様化を阻む。すなわちエネルギー消費を小さくする事や、分散型エネルギー源を開発する事を圧迫する。

13
、「プルトニウムは千年エナジー」(東電)といったPRで、あたかも将来のエネルギー問題が解決するような印象を与え、エネルギー問題/環境問題を市民が本気で考える事を邪魔する。このことは、エネルギー政策の意思決定から市民を遠ざけることになる。

14
、電源三法交付金などにより立地自治体の財政に一過性の膨張をもたらし、地域内に賛成/反対の対立を持ち込み、地域の自立を奪う。

15
、情報の操作・隠蔽・捏造が、国内外を問わず、常につきまとっている。
 

フォームの始まりフォームの終わりRe: 素朴な質問 - N

2012/07/06 (Fri) 06:19:01

2011-7月に、シンポジウム「玄海原発は『安全』か?」の中で、金属材料学の東大名誉教授・井野博満氏は「浜岡原発より危険な『玄海一号機』の脆性劣化破壊」というタイトルで講演された。

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原子炉は30年経つと廃炉にするのが「世界の常識」ですが、玄海原発一号機は19751015日に竣工して30年以上経過しているにも拘らず寿命が延長されています。圧力容器の破壊を起こしている福島第一原発一号機は、1971325日に竣工した40年目を迎えようとするロートルでした。

原発の老朽化を諮るうえで重要な指標に、圧力容器の「中性子照射脆化」というものがあります。原子炉内で核分裂が起きると、炉内に発生した中性子が飛んで圧力容器の内壁にぶつかり、金属にダメージを与える事になります。年月が経つにつれて、これが圧力容器を脆くしてしまう。それが「中性子照射脆化」と呼ばれる現象です。

一般に原子炉というと、何か非常に頑丈で特別な材料で出来ていると思われがちですが、実はまったくそんなことはありません。圧力容器は鉄にニッケルやモリブデンなどを加えた鋼で作られていて、配管にいたってはステンレス製です。これは家庭用の流し台と同じ素材です。原子炉というのはそういうありきたりな金属で出来ています。したがって、ほかの一般的な機械と同じく、経年によってガタもくれば老朽化もする。しかも、その老朽化に於いて原発特有の原因があり、それが中性子照射というものです。

その脆化=劣化とはどういうものなのでしょうか?簡単に言えば、中性子線によって金属の柔軟性・弾力性が失われて『硬く』なり壊れやすくなる、と言う事です。人体に例えれば、動脈硬化によって血管が破れやすくなるのをイメージしてください。金属の場合、劣化が進むと、『ある温度』(脆性遷移温度)より低くなると、まるで瀬戸物が割れるように、小さな力であっさりと割れてしまうようになります。この現象が、老朽化した玄海原発一号機原子炉では進んでいるのです。

通常、鋼の脆性遷移温度はマイナス20度くらいです。しかし、中性子線を浴びる事によってこの温度がだんだんと上昇していきます。この温度が高いほど、原子炉は危険になります。なぜなら、地震等で緊急炉心冷却装置が作動し、圧力容器を冷やさなければならなくなった場合、この「冷やす」という必要不可欠な操作自体が、危険を招く事になるからです。

九州電力が発表している玄海原発一号機の脆性遷移温度は、1976年が35度、1980年が37度、1993年が56度、ところが最新の2009年にはナント『98度』にまで一気に跳ね上がりました。

ガラスのコップに熱湯を注ぐと、割れてしまいます。これはコップの内側と外側の温度差によって生じる力にガラスが耐えられなくなるからです。原子炉の場合は、これと真逆になります。高温の原子炉の中に、緊急冷却のために水を入れる。するとそれによって圧力容器が破壊されてしまう。「脆性遷移温度が高い」ということは「より早い段階で圧力容器が壊れる危険性が高い、すなわち『壊れやすい』」ということになります。

脆性遷移温度が上昇する原因には、「化学因子」と「中性子照射因子」が考えられます。鋼中の不純物である銅やニッケルの量が多いと(化学因子)、上昇温度は大きくなる。中性子照射量が増えると(中性子照射因子)、上昇温度は大きくなる。

以前の事例ですが、関西電力の美浜原発一号機の脆性遷移温度が81度だった事がありました。ここの圧力容器には「不純物の銅が少なからず含まれている事」が判っています。玄海原発一号機の場合、単純に説明のつかないところがありますが、「鋼材そのものが均一な材質ではない」という仮説は成り立ちそうです。つまり、「圧力容器自体が一種の不良品だった」という可能性もあります。

流々いろいろな事を申し上げましたが、九州電力に以下の三点を要求したいと思います。
1
)玄海原発一号炉監視試験片のミクロ組織解析を行うために、大学などの公的研究機関に試験片を提供すること。
2
200312月に提出した「高経年化技術評価書」の予測とは異なる高い脆性遷移温度が観測されているので、今回の監視試験データを踏まえて、改訂した「高経年化技術評価書」を保安院に提出し、審査をもとめること。
3
)上記1)による異常脆化の原因解明、および、2)による審査によって安全性が確認されるまで、玄海原発一号機の運転を停止すること。

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僕が上記の事柄を、よくよく理解しているわけではありません。

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Re: 素朴な質問 - N

2012/07/06 (Fri) 08:38:44

<時は高度成長目指して、「もったいない」の思想から「垂れ流し」「使い捨て」が美徳?の時代へと「狂想曲」が流れていた時です。【略】あの時に、「経済」より「心」の豊かさでもって、「幸福」を求めるべきだったのでしょう。でもあの時(丁度私たちの青春時代)は、「経済成長が豊かさのバロメータ」であり、私たちも大半はそれを目指した【略】
高度成長を遂げた後だから、「原発いらん」と言えるだけで、福島を見るまで、チェルノブイリがあっても、知らん顔してたのは自分なのです。>

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まさに、僕も「その一人」にまちがいありません。ただ少し言い訳が許されるならば、「原子力のリスクとベネフィットが提示されその選択が国民に治世者から問われた機会」というべきものはありませんでした。『「原子力の平和利用」という美名に騙されていた』というのが実感に近いです。「原水爆兵器禁止運動」の運動者さえそうだった、(元慶応大・藤田氏などの少数の人を例外として)といえると思います。

僕個人は、「スリーマイルズ島事故」の後東京であった「反核集会」に出た覚えはありますが、ブザマなことに吉本隆明氏の「反核異論」にKOされてそのような動きと疎遠になってゆきました。「チェルノブイリ事故」の頃は帰郷して家業を承継するために目まぐるしい日々で、「ソレドコロデハナイ」といった状態が続いていました。

今「市民運動」をやっている人たちで、学生時代にイワユル「活動家」をやっていた人は少ないです。僕らの大学生時代は「内ゲバの時代」で、政治に意識があっても、それこそイノチガケの発言が求められました。ある人はシラケ、ある人は「俯く青年」となり、大多数は無関心を装っていきました。「・・・そんな一人だったから、こんな『原発』に代表されるモノがバッコする世の中になってしまった」という原罪意識から「市民運動」に参加されている人々は多数います。

前記の井野博満氏の講演を聞いて、「玄海原発プルサーマル裁判」の原告の一人に名を連ねました。

(H.N氏が書いているように)「国家」というモノは(日本に限らず)、一旦コトがあると(原発問題に限らず)、国民を『棄民』として処理します。(特に日本はその傾向が強い、と思う。)ダカラ「国民に過酷な犠牲を強いる存在である原発について(将来のエネルギー政策を含めた)、リスク/ベネフィットを提示しての開かれた国民的議論が必要」だと思うのです。その議論が整うしばらくの間、「原発の稼動は停止してほしい」というのが僕の願いです。

近々の内に時間をとって、face2faceでH.N氏と議論したいです。連絡しますので、その節はヨロシク!


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