明善同志47(どうしよんな)会と
名簿の刊行にあたって |
明善100周年記念事業の一環として、同窓会々員名簿が作成されました。これには第1回卒業生(明治15年卒)から、昭和57年卒業までの全卒業生が掲載されています。この名簿をみると先輩たちが各方面で、広く活躍されているのがよくわかります。そして各学年毎に同窓会を作り、切磋琢磨されているのがわかります。それを見習おうと思いました。また、私達が明善に入学した時は16才でした。今年は入学以来16年目にあたります。しかも年令も三十路に入り、「朋」と再会し、「どうしよんな?」と声を掛け合うのもいいのではないかと思い、明善昭和47年卒全クラス合同同窓会を企画いたしました。
会の名称も久しぶりに「どうしよんな?(同志47)」と気軽に会うことができるようにと考えました。そしてこの会を永く続けられるように、各クラス毎に幹事を改め、久留米を中心に転居に関係のない人を選びました。
5年毎にこの会を催し、名簿を改訂し、いつでも連絡がとれるようにしてお互いの成長を確認しつつ、この会及び名簿によって、恩師や朋の動静を知りうるばかりでなく、明善同窓生の活躍の広さと深さを知ることができる。そのことを皆なと喜びたいと思います。
皆様のますますの御健勝を祈念いたします。
1985年1月3日
明善同志47(どうしよんな?)会
会長 田中(諸藤)四十三 幹事一同 |
編集後記
「朋あり遠方より来る。亦楽しからすや」
「朋」とは師を同じくする仲間との旨。利害関係はなく、もとより血縁関係もない。無関係といえば無関係。それでいて、なおつながっている不思議な関係が「朋」。
住所確認のためにTELをする。たとえそれが5年ぶりのことであっても、ついこのあいだのことのように、「よう!久しぶり。元気か・・・」と、気軽に話せるのが「朋」。
私達にとってこの名簿は、3度目の卒業者名簿である。1度目のは卒業時にアルバムと共に学校から、2度目は、明善創立100周年事業としての名簿、そして今回。都合3ケの名簿になるが、今回の分に関してだけが、私達の手で自ら作ったものである。だから、消息不明や、校正が完全でないなど、完成度がけっして高くないのが残念である。
しかし、この「朋」という他には得がたい貴重な財産を大切にするためにも、回を追って完成度を高めて行きたいと切望しておりますので、不明者の消息、異動、訂正等ありましたら、下記の事務局、または各クラス幹事に御連絡下さるようお願い申しあげます。
山本 隆幸 他幹事一同 |
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管理人の思い出
振り返ってみると、この名簿作成がきっかけでワープロ買って、パソコン始めて20年かぁ。実質的に名簿を作成した山本君に感謝ですね。山本君の隣で名簿の漢字をああだ、こうだ言って入力してもらったのを思い出します。坂ちゃんにはギリギリまで印刷してもらってたのかな?この準備期間中に出田君と初めて話しました。またみんなの顔を名前が一致しないのですが・・・でもみんなもまだ憶えきらないでしょう。(^o^)
写真関係は原常夫君が撮ってくれました。
田中会長には「目立つのはお前しかおらん」と言って引受けてもらったような? |