明善高校創立111周年を記念して |
5年ごとに開かれる明善同志47(どうしよんな?)会に集まったみなさんに、まずお礼を申し上げます。
今年1990年(平成2年)は、明善高校が創立されて111年目にあたります。私たちが明善高校に入学した年(1969年)に創立90周年記念事業として、文化祭があったことを憶えていますか? 私たちは、明善の歴史の中でも運動会を2回、文化祭を2回経験することができた珍しい卒業生だと思います。このチョット変ったところと、100周年記念事業として同窓会名簿が発刊され、先輩方が同期会を作りお互に励まし合っているのを、同窓会名簿から感じたことが、5年前に明善同志47(どうしよんな?)会を企画・開催した大きな理由です。5年前のこの日、山口一二先生を始めとして、田中省三先生、原武 哲先生、田中武日子先生、今村輝年先生、塚本直門先生、高木嘉洋先生以上7名の先生方、及び同期生516名中、約1/3にあたる161名の参加を得て、盛会に催すことができたことを昨日のことのように思い出します。今回は175名(12/25現在)の参加予定になっています。今回初めて参加する人、5年前も今年も参加する人、この5年間でずいぶん変った人もいるでしょう。卒業して18年間会ったことがない人もいるでしょう。さらに高校時代はその存在さえ知らなかった人もいるでしょう。さあ、「どうしよんな?」と20年前にTime
Tripして、Back To The Futureして下さい。
5年前の約束をはたすことができた喜びと、準備のために忙しい中を集ってくれた幹事の皆さん、本当にありがとうございました。
私たちは、この名簿が、同期生が、明善を卒業後、多彩な分野で活躍していることを証明していると思います。そして、この名簿のひとりひとりに、明善高校の同期生としての、この熱い思いを伝えたい。 恩師や“朋”との、5年後(1995年)の再会を、いまから待ちこがれながら、みなさんのご健康を祈念いたします。
1990年1月3日
明善同志47(どうしよんな?)会 会長 田中(諸藤)四十三
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編集後記「朋あり遠方より来る。亦楽しからすや」
実感としてはせいぜい3年ほどにしか感じていないのだが、実際には5年が経過してしまっていた。今回の名簿改訂作業で4割くらいの人達の修正を行った。考えてみれば、5年間の間に、何の変化もない方がかえって不思議なのかもしれない。(修正のない人は、たまたま名簿の修正に該当しなかっただけでの話。平温無事でこれまた良いのではないかな?)転職、結婚、転勤・・・名簿ではわずか半行の機械的な修正であっても、その中には書けば数頁、数十頁のドラマがある筈だ。最愛の人にめぐりあった人。念願の新居を手に入れた人。しかし一方では、事志とは異なり転職した人。家族を亡くした人云々・・・住所の確認のためあちこちに電話を入れても結局連絡がとれず、あるいは、案内状が宛先不明で戻ってくるので、不明として、名簿に記載せざるを得ないのは辛い作業だ。(どこかで元気にしていてくれればいいけれど)表向きは無表情な名前の羅列に過ぎない「名簿」も、子細に読めばその中に壮大なドラマが展開されている。今回、返信のハガキの近況の欄に、5年前は名簿で不明だった人が5人は記載されていた。うれしかった。実家も判らず、探す術が閉ざされていたから。あるいは顔も憶えていない人から電話で、○○さんの住所がわかりましたと連絡してくれたこともあった。
“朋”という他には得がたい貴重な財産を大切にするためにも、5年毎に名簿を更新するという約束に従い、回を追って完成度を高めていきたいと切望していますので、不明者の消息、移動、訂正等がありましたら、下記の事務局、または各クラス幹事にご連絡くださいますようお願い致します。
「人はそれぞれに様々なドラマをかかえて移動して行く。」
願わくば、その移動が幸多からんことを祈る。
出田 剛朗 坂田 一男 山本 隆幸 安高 節子 野口加代子 原 常夫他幹事一同
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管理人の思い出
2回目だから気合いが入っていた気がします。坂ちゃんが名簿作成に関して、ぼくが桐で作成した住所録のデーターをテキストファイルへ変換し、それを一行一行空欄を埋めるように並べ替えるなどかなり苦労したんですよね。転勤他などの理由から宛先不明が多かったのは参ったね。まだこの頃はみんなとても定住するよりも移動の方が多かったんだ。 |