明善同志47会〜どうしよんな?〜
 この名称は、1985年に第1回目を開催するに当たり、なんらかの名称をつけたほうが、同期会として集まりやすいだろうと、森誠君(博報堂勤務)へ考案依頼し、第1回目開催時に参加者へ諮り決定したものです。
 赤穂浪士の忠臣蔵の四七士みたいでもありますが、
明善高等学校を昭和47年に卒業した同志であること。
母校は現在どうしているのかな?
同期生であるみんなはどうしているのかな?と
『同志47』〜どうしよんな?〜と掛けたものです。誰でもが判りやすく、呼びかけやすい名称であることと同時に由来に興味を持ってもらうためです。
背 景

1.元2年6組が明善高等学校を卒業後、男女8人一組の幹事持ち回りで、
  毎年(1973年から1980年)クラス会を開催していました。
  1980年には幹事が一巡してしまい、それぞれが結婚や転勤等でなかなか集
  まらなくなってきました。高校を卒業してから10年もすれば、確かに高校在
  学時の郷愁よりも仕事や家庭へ生活の重心が移っていくことは当然のことです

2.たまたま西日本新聞の夕刊掲載記事に、昭和27年卒の先輩方(東京在住の
  方々)が毎月定例会的に同期会を開催したある記事を読みました。同期会が懐
  かしさだけで集まっていたものが、次第に仕事上の取引関係に発展したり、
  相談があったりとお互いの切磋琢磨と協力関係が見られてきたとの要旨でした

3.1979年に明善高等学校は創立100周年を迎えました。西日本新聞筑後版へ
  「明善物語」と題し、昭和44年10月18日から12月15日まで44回
  (戦前編)、昭和54年9月18日から11月13日まで45回(戦後編)が
  それぞれ90周年、100周年を記念して企画連載されました。その内容の
  一部が加筆修正され『風雪100年明善物語』として、1980年4月29日
  に出版されました。

4.創立100周年記念事業として、1973年より企画され1980年発行を
  目指して『明善同窓会会員名簿』の編集が行われていました。
  過去3回(昭和14年)(昭和26年)(昭和44年)名簿が発行されていま
  すが、今回の名簿は4万名もの卒業生が網羅され、その編集に多大な労力が
  発揮され、予定より遅れること2年。
  1983年2月15日発行の運びとなりました。

 以上、
 「元2年6組のクラス会」
 「西日本新聞の記事」
 「風雪100年明善物語の出版
 「同窓会会員名簿の発行」が、私たち明善同志47会を発足させる大きなきっかけとなりました。
 クラス会の一巡による開催の不安定さと挫折、新聞記事による先輩達の同期との活発な交流活動、明善物語から知る得る先輩達の在学時の思い出と現在の活躍、そして何よりも同窓会名簿から同期会としての組織運営の方法やまとまりを知ったことで、同窓会を企画運営していけるという感触を持ちました。明善高等学校を卒業後、10数年の経過の中で、「克己」、「尽力」、「楽天」という校訓の意味を実体験し母校に対する愛情と大きな誇りと自信が、明善同志47会発足の背景です。