順ちゃんのオーストラリア滞在記その1
Dear  Everybody !
皆様の心温まる歓送会から早10ヶ月、オーストラリアでの生活も残すところあと2ヶ月となりました。
 今はネット社会、日本との距離間をさほど感じることもなく、毎日やり取りするメールやこの「明善同志47会HP」のおかげでホームシックにもならず、「持つべきものは友達!」を実感しています。食事の問題さえなければ「まだまだ居たい!!」と思うくらいオージーライフを満喫しております。
 管理人さんから「せっかくだから滞在記をメモ的に残しておくといいんじゃない?!」というアドバイスを頂いたものの、しばらく逡巡しておりました。が、「もっと年をとるとなかなか思い出せないだろうし、ボケ防止にも役立つわよ!」とのアケミさんの親切な(?)ひと言もあり、「日記のつもりで」筆をとりました。
 独断と偏見に満ちた作文になるとは思いますが、オーストラリアに興味のある方はもちろんのこと、御用とお急ぎでない方にも読んでいただければ幸いです。
 さて1月26日はオーストラリア・デイ(建国記念日)です。年前、当時ブリスベンに住んでいた義妹夫婦の家を訪れたのもちょうどこの日、ビクトリア橋を通過する騎馬隊や音楽隊の華やかなパレードを見たことを思い出します。
 抜けるような青空、爽やかな空気、蛇行して市内を流れるブリスベン川、カフェでノンビリお茶する人々、そんな街の佇まい・・・たった3日間の滞在でしたが、それは深く印象に残りました。そういう訳で、希望通りブリスベンで生活をすることが決まった時、嬉しい気持ちが先行して「海外生活」に対する不安はほとんどありませんでした。
 昨年3月19日、いよいよ日本を出発。最寄りの駅に行ったらなんと事故のため私鉄がストップしているという。やっとのことで成田に着きスーツケースを預けたらこれまた超過料金11万円〜! うそ〜?!マジ〜?!
 なんだか不安な出だしでスタートした豪州生活!

 翌朝到着したブリスベンは暑かった!! そう、3月はまだまだ夏、暑いのです。
 アパートが決まるまで滞在したホテルはCityのやや外れにあり、毎朝小鳥のさえずりや教会の鐘の音で目を覚まし、想像どおりのブリスベンを満喫の日々。
 苦労して捜した(苦労したのは夫ですが)アパートは市の中心にある38階建の21階。
ベランダからは植物公園やブリスベン川が望めます。
そうです、生まれて初めてのシティ・ライフ、やった〜!!

 そう、この時まではまだまだルンルンの旅気分でした。・・・がぁ〜。
 ★・・・その後・・・★
 出発直前まで準備や整理に手間取り、正直、こちらに来てからのことはあまり考えていませんでした。生来の楽天的性格ゆえに「英会話?ま、何とかなるサ〜」くらいのノリでやって来たので「さあ〜大変!」・・・(遅!)
 それはそうですよね? 習ってから ン十年も経つのだから話せるわけがない。近頃では日本語でさえも覚束無いのに、ましてや英単語なんて・・・と言うか元々大して憶えてなかったわけですから思い出すもなにも(苦笑)・・・今にして思えば、何を根拠に「大丈夫!」と思っていたのか理解に苦しみます。
 その上、噂には聞いていたけど、ホントに「オージー英語は聞き取れな〜い!!
しかし夫は「慣れるしかないからとにかく話してみろ!」と、まさに愛のムチ?
買物にもついて来てくれない。その上私は「超」が付くほど方向音痴なので、最初のひと月は本当に途方に暮れました。電子辞書と地図を握りしめて毎日街中を歩きました。

 そういえば明善入学当初もクラスに誰も親しい人がいないのでしばらくは途方にくれて心細かったのを思い出します。実は私、超〜人見知りなんです。(ホントです!)
 4月は日用品の買物や部屋の整理に追われ、5月にはNZL(ニュージーランド)へ旅行したのでアッという間に2ヶ月が過ぎました。6月に入り本当の意味での日常生活が始まった時、夫婦の危機(?)が・・・。海外生活のストレスに加え、狭い部屋で四六時中一緒に過ごすのはとにかく初めてのことだったので結構深刻でした。
 しかし6月の末、家庭教師のAliceに出会ったことで私のオーストラリア生活は大きく変わったのでした。
 Aliceは夫が通っていた語学学校の先生です。夫が私に初級クラスに行くよう再三勧めたのですが、若い人たちに交じってレッスンを受けるのには抵抗があったので断りました。
 ところがある日「僕の先生が個人レッスンOKと言っているから会ってみない?」と夫に言われ不承不承会いに行きました。
 Aliceは30代後半のNZL人です。オーストラリアに来て12〜3年だそうです。しかし母上が英国人なのできれいな英語を話します。金髪碧眼・スタイル抜群、徹底したベジタリアンで西洋人らしく意思が強くとても賢い女性です。その上思いやりがあり、とてもフレンドリー、初めて会った時から「この人ならいいかな〜」という安心感がありました。
 彼女はもちろん日本語を解しません。しかし抜群にカンがいいのでこちらの言わんとすることをすぐ理解してくれます。ま、そのため私の英会話は一向に上達しないという矛盾を時々感じますが(笑)それはそれとして、今では彼女はブリスベンでの唯一の友人です。
 ◎・・・BRISBANEの街・・・◎
 ここブリスベンはシドニー、メルボルンに次ぐオーストラリア第3の都市です。
都会と言っても街の中心は「福岡の天神」より小規模のカンジでしょうか。
というのは、知人のオージーJ君が「ブリスベンは私の大好きな天神の街に似ている」と言っているからです。彼は10年間で日本全都道府県を制覇したツワモノ(?)です!ちなみに彼の出身地アデレードは仙台に似ているそうです。はて、どうかな?(笑)
 こちらに来た当初、街中のアジア人の多さにビックリしました。
しかし日本人はあまり多くはありません。バブル崩壊後、多くの日本企業が撤退したからだそうです。たまに語学学校の生徒達を見かけます。というより話声で日本人だとわかります。一見しただけでは日本人、中国人、韓国人の違いはわかりませんが、日本の若者は数人で小声で話しているので見分けがつきます。中国人街が何ヶ所かあるので中国人が一番多いのは当然ですが・・・ほんと彼らは声も大きいし自己主張も激しい! がんばれ〜日本の若者達〜!!
 ちなみに、ブリスベンの南、ゴールド・コーストには多くの日本人が住んでいます。それでここを訪れた日本人観光客は「オーストラリアには日本人が多く住んでいる」と勘違いされる様です・・・。
 ブリスベンではセブン・イレブンはほとんど中国人経営の店が多いようです。日本料理店でも「寿司」とか「ラーメン」とか書いてある文字もどこかチョッと変です。
日本人のスタッフがいる店でも経営は中国人だったりするので当然味が・・・違う!

 まあ、ここで美味しい日本食を食べるのは無理な話ですが、その代り肉は本当に美味しい〜!
 特にビックリしたのが羊!日本では食べたいなんて思いもしませんでしたが、
ここオーストラリアの羊肉は本当に美味しい!そうそうニュージーランドの羊肉は更に美味でした。

 スーパーには新鮮な肉や野菜が大量に並んでいますが、いかんせん種類が少ない。この国は食物の輸入、持込みの規制がとても厳しいからでしょうか?!
人々の日常生活(食物、衣類)は意外と質素です。
つくづく日本人は贅沢だな〜と思います。

 8年前はそれ程感じなかったのですが、最近アジア各地からかなりの人口が流入しているそうです。そういう訳で、今、この街は建設ラッシュ!
朝6時から工事が始まります。
街全体が早起きです。そのため私も早起きです。
年のせいではありません
(キッパリ)
 私が部屋の窓を開けようとすると、夫は「うるさいから閉めて!」と言います。アパートは21階なので真夏でも朝夕は窓を開けていればクーラーの必要はありません。今年は本当に暑くないので・・・。それで毎日「閉めろ!」 Vs「 開ける!」の言い争いになります。
 夕方になると(5時くらいには)工事が終わります。やっと窓を開けると、今度は上階から聞こえてくる中国人の喋る声が喧しくて、結局は窓を閉めざるを得ません。やれやれ・・・。
 ◎・・・BRISBANEの気候・・・◎
 クイーンズランド州(ブリスベンはその州都)は、2007年は異常気象で冬場(68月)は意外に寒くて小型温風機が飛ぶように売れていました。ここは普通なら一年中温暖な地域なのでほとんどのアパートはクーラーだけが多いのです。
その寒さを予想していなかったのでキミエちゃんに話したら早速段ボールいっぱいの冬物を送ってくれました。感謝!

 ちなみに一般的に西洋人は寒さに強いのでこれくらいの寒さなら冬でも半袖の人も多いのです(笑)。食べる量にしてもホントに体力の差を感じずにはいられません。
ブリスベンは州政府から節水奨励の小型砂時計が配られる程、深刻な水不足です。この地域では最近頻繁に大雨や洪水が起きているのに、ダム貯水率は主な都市の中では最下位です。なぜ?
 月、私はサンシャイン・コースト(ブリスベンの北)で大型サイクロンに遭遇しました。サンシャイン・コーストはその名の通り一年中太陽が輝いている美しい海岸です。
 友人が日本から遊びに来たのでバスで2時間ほどのムールーラバというビーチに行きました。以前行った時、あまりの美しさに感動!(ゴールド・コーストほど観光化されていないので私はこっちの方が好みです)ぜひ友人にも見せたいと思い、自分で(夫には頼まず!)バスやホテルの手配をして出かけたのに・・・強風で折畳みの傘が壊れズブ濡れになるし、浜辺のお店はほとんど閉ってしまうし、ホテルの窓からビーチに迫り来る大波(ビッグ・ウェーブ?違う、違う!)を眺め、「何しに来たんだろう?」と、がっかり!!帰りに駅から乗ったタクシーの運転手に「サンシャイン・コーストに行って来た」と言ったら「洪水に会わなかったか?こんな雨の中、何をしていたんだ?」と笑われてしまった。
A子さん、ごめんね〜、いつもはこんなはずないんだけどナ〜」
結局彼女は6日間、快晴のオーストラリアを一度も見ずに帰国したのでした。
快晴の時のSunshine Coast : 時たま大きなペリカンが泳いでいたりします。
 ◎・・・BRISBANEの道路・・・◎
 私が一番感心したのはバス専用道路!バスは市内を離れると専用レーンを高速で走ります。だから一般レーンが渋滞でもほとんど定刻通りです。すばらしい!ま、広いからできることですがね。幹線道路はごく一部を除けば高速料金なしの高速道路です!
 街の中の道路は一方通行が多いのでチョッと面倒です。でも道幅が広いのでパーキングは道路脇の枠線の中に縦列駐車します。所々に券売機があり、駐車券を買って車のダッシュボードの上に置いておきます。時々係員がチックに来るシステムだそうですが、未だ私はその姿を見たことがありません。(だって見て回るなんて無理だと思うけどな〜)しかしどの車もちゃんと駐車券置いてるし・・・不思議です!
 そう言えばバスやシティ・キャット(ブリスベン川を走る高速フェリー)に乗る時にはカードを持っている人は、たとえば2ゾーンなら2回機械に通すしくみです。自己申告みたいなものだからキセルをする人が多いんじゃないかと思ったりしますが「バレたら大変な罰金を払う羽目になるからそんなことをする人はいない!」そうです。(超真面目なJ君の説明)
 電車だって改札で切符を回収しないし(空港だけは回収してます)、ここブリスベンでは「不正をする人はいない!」が前提なんですネ、ま、そりゃそうですが・・・。

そしてブリスベンではとにかく日本車が多いのでビックリします。
ベンツやBMはシドニーほどには見かけません。そして自国のホールデンもそれほど多くないし、ヒュンダイ(韓国)が追ってきてもここしばらくは「日本車安泰!!」・・・かな?
 私達は遠出の時にはレンタカーを借ります。もちろん運転は夫で、私がナビ!
オーストラリアにもナビがありますが、カラーではありませんし、笑えるくらい簡単な画面に単純な指示。道路自体単純だから不要なのかも。
 不案内の私達はロード・マップと道路標識を交互に見るのがひと苦労!と言うのもオーストラリアの地名はアボリジニ(先住民)の言葉をそのままアルファベットで綴ったものが多くやたら長くて読みにくいのです。

 その上郊外に行くといつの間にか道路はせまくなり、対面通行(分離帯無し!)なのに110kmの標識!しかも「遅い車がいると対向車線に出て追い越す」
「林のわき道から110kmの車線に入る」
「横切る」という超危険で不思議な状態に。(怖)
 路上で死んでいるワラビー(カンガルー?)を数体目撃!

 チョッと人家が増えるといきなり50kmの標識!そしてまたすぐ110kmに。人口が少ないオーストラリアならではの体験です。人々はちゃんと速度通に走ります。(当たり前か!)初めて私達がB&Bに行った時、みごとレーダーにひっかかり、しっかり写真を撮られ、2ヶ月後にスピード違反の切符が送られてきた時にはビックリしました!たぶん周りに車がいなかったので50km圏内を速度オーバーで走った・・・みたいです(泣)
 ♪・・・初めてのB&B・・・♪
 月、ブリスベンから車で3時間ほど内陸のワイナリーに寄った後、さらにその奥へ・・・へぇ〜?こんなところに本当にB&Bなんてあるの?と心配になるくらいのド田舎!
一度は通り過ぎてしまったくらい小さくて可愛らしい門。よく手入れされた広い庭の向こうにその家は見えた。16年前に退職して英国から移住してきたというホストご夫妻、B&Bはたぶん趣味? とにかく広い敷地内の牧場では牛たちがノンビリ草を食んでいる。乾燥しているせいか、フンの匂いも全くしない!歩いて5分ほど離れた隣の家の庭にワラビーを発見!目が合ったら、じっと固まったまま動かない。東洋人が珍しいのか、歩いている人間自体が珍しいのか(広いのでどこにも人影がみえない)、その様子が可笑しくて可愛らしい!バルコニーの水飲み場にやって来るカラフルな鳥たちを観察したり、敷地内の牧場の仔牛に草をあげたり、ホスト夫妻のさりげなくも心のこもったもてなしで楽しい時間を過ごしました。 品良く居心地のいい部屋、夕食は豪華ではないけれども所謂英国式ディナーのフルコース(B&Bでは予約しておけば夕食もOK)。夕食後、星を見ないかと誘われて外に出てみると、薄手のダウンでも震える寒さに驚きました。 見上げるとミルキーウェイ・・・その名の通り「天の川」がまるでミルクを流した様に見えたのには感動!!もちろん「南十字星」もすぐ見つけられたし、まわりに光がない田舎ならではの素敵な体験でした。B&B初体験、会話は大丈夫か?初めはチョッと緊張しましたがホスト夫妻のフレンドリ―な気遣いでほんとうに楽しい思い出ができました。

 ♪・・・2回目のB&B・・・♪
 1回目のB&B体験で味をしめた夫はちょうど日本から来ていたS君を誘い3人で、今回もワイナリーでワインをしこたま買い込みゴールド・コースト郊外のB&Bへ。
月の初めで晴天だけど山は涼しすぎるくらいの気温。山道を走っていると隣の山からもうもうと煙が!オーストラリア特有の山火事に遭遇してビックリ!乾燥しているので自然発火し、油分の多いユウカリの葉に火が燃え広がるのだそうです。後で思い出すと怖かった・・・。
 ここのB&Bもなかなかお洒落でこんな田舎で?と思うほど、我々の部屋はシックでS君の部屋はスタイリッシュな感じでした。西洋人の色に対するセンスは本当に素晴らしい!
 ワインを飲みながら刻々と変わりゆく夕暮れをただただ眺めて一時間・・・言葉もなく素敵な時間が流れました・・・。
 この時も前もって夕食の予約をしておいたのだけれど、気の弱そうなおじさん(ホスト)に「食事の用意ができない。町のレストランからバスが迎えに来る」といわれ困惑!?
 連れて行かれたのは田舎町の社交場と思しきレストラン。
東洋人は我々以外に見当たらない・・・ちょっと緊張。おまけに待合室には戦時中の写真や遺品が飾られたコーナーが。

 この国にとって過去唯一攻撃をされた相手国・・・日本! ますます緊張・・・。
席に着く前に私達はパスポートの提示を求められた。「東洋人は若く見られるので、お酒を買う時にチェックされることもある」とガイドブックにも書いてあったが、初めてなのでで少々ビックリしました。その緊張もすぐにお酒でほぐれ、意外にも食事は美味しく楽しいディナーだった。
結局帰りはそのレストランの従業員達と一緒にマイクロバスに乗せられ、我々は最後にB&Bで降ろされた(笑)。ま、それはそれでなかなか面白い体験でしたが。

 ♪・・・3回目のB&B・・・♪
10月の中旬、夫の両親と4人でサンシャイン・コースト郊外の牧場へ。
この時のサンシャイン・コーストは本当に太陽が輝いていて、何度来てもいい所だな〜と思いました。海岸で食べたfishchipsは今までの経験中最も大変美味しかった。
 義父は持参したおにぎりと日本茶に満足していましたが・・・。

 予約確認の電話を受けた時に、ホストが「日本人の家族を迎えるのは初めてだ!とてもExciting!夕食はBBQスペシャルだよ!お楽しみに〜!」と夫に言ったそうです。
 両親はもちろん生まれて初めてのB&B体験!
 人懐っこい老犬モンティの大歓迎で緊張もほぐれ、写真でしか見たことのないような極彩色の小鳥に興味津々。広いけどよく手入れの行きとどいた庭(?広すぎる)を散策したり、夕暮れを眺めながらベランダで食べたディナー、ご主人がステーキを焼いているそばを離れないモンティ、しかし食事中には決してお客様のそばには行かないようによく躾けられている、と感心していたら・・・繋がれていた(やっぱり!)

夜になるとかなり冷え込んだので、夕食後、ご主人が庭に大きな鉄鍋(?)を出して焚火を焚いてくれました。皆でコーヒーを飲みながら星を眺めました。
何〜にもしないこんな時間を過ごすのもたまにはいいねぇ〜」と義母が呟きました。

 ♪・・・エアーズ・ロック・・・♪
 話は多少前後しますが10月の初め、夫の両親と4人でエアーズ・ロックに行きました。シドニーで飛行機を乗換えてエアーズ・ロックまで3時間半、眼下には赤い大地が続いている。
やがて機体が降下すると赤い大地に白いリゾートホテルの一群が見えてきた。空港からレンタカーで30分、お昼過ぎにホテルに到着。駐車場には人影がない。誰もが日中暑さを避けて部屋や木陰で昼寝をし、早朝や夕暮れにウルル(英語名:エアーズ・ロック)やカタ・ジュタ(同:Mt.オルガ)を見に行くのだ。10月のウルルはやはり暑い。リゾート以外は砂漠(と言ってもブッシュ)なのでリゾート内で過ごすしかない。 昼寝の後、ウルルを見に出発。19時と言ってもまだまだ明るい。しかし途中、帰ってくるたくさんの車とすれ違う(?) まわりに何もないため距離間がつかめないので、そんなに遠いとは思っていなかった。時既に遅し!夕陽のウルルは後日にしよう。
翌朝、朝陽に輝くウルルを見るために時に起きた。
前の晩、義父の為に作っておいた「おにぎり」に蟻がたかっていた。蟻は金気を嫌うというので金属のトレーの上にお皿を置いておいたのに・・・ここの蟻には通用しなかった!仕方が無い、捨てようとしたら義母が蟻をはたき落とし「焼きおにぎり」にすれば大丈夫と言った。さすが、戦中派はすごい!!
次第に登って来る太陽の光を受けたウルルの姿は荘厳で美しい・・・しばし言葉もない。「アボリジニの人々はこの神聖な岩には登らない・・・云々」とパンフレットに書いてある。かなり迷ったけれども77才の義父が登るというので私も付添いのつもりで登ることにした。
 初めはなだらかだった岩が突然急勾配になり、陰になった表面は朝露に濡れてツルツル滑る。道標の鎖を頼りに慎重に登る。息が切れて途中で休む時も滑り落ちそな気がして鎖を手離せない。横を通る関西弁の元気なオバチャン達(登山愛好家?)に励まされる。やれやれ!
 既に夫と義父の姿は見えない。ようやく平らな部分に出たが風が強くて汗が冷えてくる。鼻水が出る。ティシュを出そうと思ったが、もし風で飛ばされでもしたら神聖な場所を汚すことになると思い断念。そうだ!この際仕方がない、首に巻いたタオルマフラー、ホントにキミは役に立つ!!(9月に順ちゃんが一時帰国した時、タオルマフラーを事前に特別に渡しておきました。〜事務局〜)
 頂上に着くと夫と義父が待っていた。
さすが剣道7段の義父である。
 すごい〜!

 日本人の若者達(バカ者達!)が大声ではしゃいでいる。君たちはちゃんとパンフレットを読んで来たのかい?
 日本人として恥ずかしい。
「セカ中だよ、」と夫。なるほどね〜。いやいや、それでもダメでしょ、
この場所での大はしゃぎは!!

 夕方「サウンド・オブ・サイレンス」というツアーに参加する。シャンパンを飲みながら夕暮れのウルルを眺めアボリジニの伝説に耳を傾ける。もちろん英語だがパンフレットがあるのでわかる(・・・ような気がした。)
 あのアボリジニの不思議な音楽が大地に響く。不思議な感動・・・。

 砂漠に設けられたディナー会場に移動、12〜3卓の内2卓が日本人のグループだ。キャンドルの光に輝くワインの煌めきが美しい。私達家族は若いカップル数組と同じテーブル。私だけビールを注文、夫に「オヤジだね」と嫌味を言われる。なんと言われようが乾燥した大地ではビールが一番!!
 夕暮れに染まるカタ・ジュタの姿があまりにも美しいので翌日行ってみることにした。
カタ・ジュタ、ここはリゾートから車で時間くらいかかるので観光客は少ない。
「風の谷のナウシカ」のアイディアはこのカタ・ジュタの「風の谷」で生まれたといわれている。近くに行ってみるとその岩肌に横縞の模様がみてとれる。風でできた模様?不思議だ。 私的にはウルルよりもカタ・ジュタの複雑な姿に感動した。しかしハエが多いのには閉口!肩のハエ(10匹以上!!)を追い払うため一人ずつスプレーをかけて車に乗り込む。「防虫スプレーは必需品!」とガイドブックにちゃんと書いてある。こういう情報はホント大切だと思った。
ふと見ると、この日間で白いスニーカーは大地と戯れいつの間にか赤く染まっていた。
 ☆・・・メルボルン・・・☆
 12月24日、私達夫婦はペンギンパレードを見るためにメルボルンに飛んだ。
空港に降りたとたん冷たい風に驚いた。メルボルンは南極に近いんだ!と合点する。
〜次回へ続く〜