島時間 その一
 7月25日から28日にかけて、八重山は石垣島、竹富島、波照間島を旅してきました。自分の幼い頃の記憶にある風景を原風景と呼ぶならば、八重山で見、聞き、感じた風景はそれよりもずっと古い幻風景と呼ぶことができるかも知れません。

竹 富 島
 福岡空港から直行便で約2時間のフライト、薄曇りの石垣空港へ着くと、すぐにバスで桟橋へ向かった。ちょうど昼時、桟橋近くの刺身屋でマグロと地ビールを頼んだ。ヨコワマグロに似て、淡泊新鮮、旨い。商店街もそこから近いので、公設市場へ行ってみた。沖縄の公設市場とはちがって派手な賑やかさは無く、どこかゆったりとしている。二階にあるパーラーで石垣ぜんざい、パッションフルーツとシークァーサージュースを頼んだ。麦や小豆、ウズラ豆、ウコンや紅芋で色づけした餅、黒蜜と体に良さそうな素朴な味の氷ぜんざいは気に入った。それ以上に、口に含んで飲み込んだ後ミラクルに変化していく天然果汁100%の味覚と香りに感激した。

 午後4時過ぎ、連絡船で竹富島に向かった。隣の席に大きな荷物を携えたオバアが座って眠っていた。九十歳くらいだろうか、存在感のある深い皺の横顔に惹かれ、シャッターを切った。10分程で竹富島に着く。竹富島は周囲15q程度の平たい島で、浜に沿って亜熱帯の植物が生い茂っている。八重山諸島は無土器時代が13〜4世紀ごろまで続いていたと言われている。お世話になる民宿の若女将が、ワゴンで迎えに来てくれた。宿は島の中央北側の集落にあるらしく、集落への入口の処で「ここは神様が通るみちです」と教えてくれた。薄暗い木立の影の中に霊場のようなもの(ウタキ)が見えた。白い珊瑚の砂の路に入っていくと、黒ずんだ珊瑚の石垣で囲われた、琉球瓦とシーサーで知られる民家が並び、フクギなどの樹とともに、ブーゲンビレアやハイビスカスの紅い花が咲いていた。車の姿はほとんど見かけない。観光客を乗せて歩く水牛が一日の仕事を終えて、主人から水をかけてもらっていた。南側に石垣の切れ目があって入口となっているが、衝立のようになった壁があり、家人は左側へ客人は右側へ廻って入るのらしかった。











 見栄を張って文明の利器から離れてみようと、宿の部屋にいる間エアコンも扇風機も使わずにいると、すぐに汗だらけとなった。午後8時ごろ、夕食が済んで外を歩いてみた。石垣のかどの木の電柱に灯ったオレンジ色の灯りが、ぼんやりと白い路を照らしている。母親に手を引かれて少女が通りすぎて行った。少しずつ色を濃くしていく空を見ていると、樹木の影に向かって、ゆらりとミミズクが飛んで来た。そのうち、「ギャーッ」「バサバサッ」という声と羽ばたきが聞こえた。谷内六郎の絵本に描かれている世界のように思えた。

「シュッシュッ」と路を掃き清める音で僕は目を覚ました。大女将に訊ねると日本に復帰される前から、ご主人はこの島の生きていく指標をかかげ、随分尽力されたようだ。皆が協力して事にあたることを、島では「うつぐみ」と呼ぶ。竹富島の美しさはうつぐみの心に支えられているのだと高橋盛男氏は語っている。