島時間 vol.3
石垣島拾遺

 波照間島から石垣島へ戻り、バスで一時間ほど北上し、川平の宿に泊まった。石垣島にはホテルニッコーなどのリゾートホテルが結構、立地している。竹富島や波照間島のように民宿だけの島とは随分、趣が違っている。東京から移り住んだ宿の主人は頭がきれるようだった。シティホテルスタイルと民宿スタイルが結合したような建物の造りとサービス。特に料理は新鮮な土地の素材が活かされて、ヤマトンチュの味覚に合うようにアレンジされ、素晴らしかった。翌朝、国指定の名勝とされている川平湾の浜を散策した。竹富島でもそうだったが、アダンの木の枝に吊されたハンモックが、ゆっくりとした島時間を物語っている。浜辺にマングローブの実?が落ちているので、島の人に許可をもらって、持ち帰ることにした。朝9時から営業しているグラスボートで珊瑚や熱帯魚の泳ぐ海底を眺めることにした。川平湾は潮流が速いこともあり、遊泳禁止となっている。幸い、満潮に近い状態だったので、なかなか見ることの出来ない珊瑚の上を廻ってくれた。近くの土産物店に寄ると島唄が流れていた。そう言えば、八重山の旅の間、聞いた音楽はほとんど島唄だった。愛しき人という意味を持つトゥバラーマという民謡がとても有名と聴き、店の主人にいろいろと訊ねてみると、音楽をかけてくれた。石垣島で年一回催されるトゥバラーマを唄い、競う大会が行われているらしく、唄う人それぞれの詞や節回しがあるらしい。大島保克の「イラヨイ月夜浜」や神谷千尋の唄う「美童しまうた」が僕は好きで、胸にジーンとくる情趣がある。店を出て、宿のあたりを歩くと、泡盛の販売元があったが、開店時間が帰りのバスの時間と合わず、ユニークな看板だけカメラに収めた。

 僕たちが竹富島を離れる時に、送ってくれた宿の若女将が呟いたのだが、周回道路の利便性と島の自然の未来への不安が気にかかった。大阪や東京から島を訪れる若者は多く、そのまま島に残った者も多いようだ。哀切な過去を背負いながらも、美しい原初の自然と信仰心を抱えた八重山諸島、また訪ねてみたくなる島々である。