楽苦美(ラグビー)と出逢い vol.1
 りんどうヤングラガーズ前事務局長として連載を書いてくれ!と大坪事務局長より依頼され、書けないと断った。「でもこの15年間の自分を振り返り、見つめる意味で書いたら」と云われ、グラっと来た。表現力のない理科系の作文、何回続くかわからんけど書こう!
では、始まり 
始ま〜〜〜〜〜り

 私がラグビーと出逢ったのは中学2年生、冬の体育の時間だった。鉄人28号と云われた後藤先生が体育の授業で小頭町公園に我々を連れて行った。ゴムの楕円球を1つ渡し、『このボールをあの端っこまで持って行って地面につけたらよか!』皆、必死にボールを追った、もちろんルールはない、というか教えてもらっていないし、わからない。(ラグビー発祥の原点みたい)逃げ足の速い私はボールを手にすると捕まらず、2トライ!何か気持ちよかったなぁー
次の体育の時間も小頭町公園でラグビー?だった。調子に乗った私はまたボールを持って走った、が、やはり世の中そう何事も上手くいかない。マークされて捕まり倒れた所に図体のでかい膝が私のか細い左腕にドカッ!途中リタイヤとなった。放課後、先生が整骨院に連れて行ってくれた「骨には異常なし!シップでよか」
夜、帰宅した父が心配して久原医院へ「骨折です、2本とも」ギブス生活が始まった。
骨折事件でラグビー?の授業は打ち切りになった。

 晴れて明善高校やっと合格した!さぁー部活は何をしようかな!テニスではパッとせんやったし…、部活のオリエンテーリングがあって次々とPRが進む中、私の心を射止めたのは「僕のクラブに入ったらすぐにレギュラーになれます、是非入ってください!」と熱弁を振るう片目のジャックこと、井上先輩。
「これにしよう!俺、足速いっちゃん!」

この出来事が私とラグビーとの出逢いだったような気がする。
また当時、近鉄の坂田がウイングでニュージーランドラグビー留学というのを聞いて、「俺も坂田だ!あんなになりたいな」ととんでもない事を考えていた…

注:後藤先生とは、勇二君の父上のことです。確かに体型と顔から「鉄人28号」なのかな?
  病院は真理子さんトコです。