楽苦美(ラグビー)と出逢いvol.2 (1年8組)
 入学して1年8組になった。ここでこの先30年、家族単位で付き合ってくれる仲間が出来ることは全く予想だにしなかった。
 それは森誠、境政人、早田増臣、そして私の4人組。部活はそれぞれ野球部、生物部、サッカー部、ラグビー部と違っていたのが何故つるんでいたのか?今でもそれはよくわからないけど、きっかけはクラスマッチだと思う。クラスマッチになるとリーダーシップ取るのは森誠だった。後に彼はミスタークラスマッチと呼ばれた。

 ラグビー部に入部しようと部室を捜し求めて北体育館の片隅に行った。
 愕然とした。部室とは云い難い・・・小屋?。
    
凄かった、汚かった、臭かった、後すざりした。
 が、成り行き上、入部してしまった。
3年生はさすがに恐かった。特に池田主将はおっちゃんタイプで低い声でボソボソと命令する。(この人とは現在、一緒にりんどうの中学コーチをしている。今でもトラウマだ)
憧れはスクラムハーフの薙野さん、強気でかっこ良かったなぁ。右センター中垣さん(銭高組)と組んで僕は右ウイングになった。井上さんの公約どおりすぐにレギュラーになった、というのも3学年合わせてやっと20名になるマイナーなスポーツで(今でもマイナーかな?)1年生の中では足が速く、希望のウイングのポジションが空いていたからだ。
ラグビー部1年生は岡田、江越、稲葉、飯田(この4人はそれぞれ自分を除いて「3バカトリオ」と称していた)、馬場、宮本というワルというか、個性的なメンバーだった。練習後は沖食堂の素ラーメンをすすり、帰宅した。夏休み中の練習後、女子専用の北プールに入った。何故か
ドキドキした。

 クラスマッチの中でも僕が一番燃えたのは「リレーカーニバル」だ。1、2年生の時いずれも800mリレー(4人)、スタートで2年間共、中野陽智君と走り、ライバルとして意識した。(彼は何とも思ってなかったかもしれない、あっ、また彼はウチの嫁さんと小学1年の時、手を繋いで学校から帰っていたそうだ)
スタートから2番手にバトンを渡すまでほとんど同時だった。アンカーの森誠で2年連続優勝して、記録も数年間は破られなかったそうだ。

 思い出した!
2年のリレーカーニバルの時、我が9組は必死だった。スウェーデンリレーに出た早田増臣と古賀敏彦はスタートからふざけた走りで観客の笑いを誘ったが、9組の批難を一斉に浴び、制裁として村八分1ヶ月となった。

注:北校舎プールで泳いだ男はどれくらいいるんだろ。このプールは昭和4年の完成です。
  この北校舎2階大講堂で日本で一番最初にベートベンの第九が一般聴衆向けに演奏された
  のですよ。みんな知っていたかな?詳しくは山口淳君に聞いてください。