楽苦美(ラグビー)と出逢いvol.10
            (事務局長引退〜30年の歴史とこれから)

我々は子ども達の健全育成の手段としてラグビーを選んだ。
ラグビーの強い選手を生み出すことを目的としていない。
たまたま自分と出逢ったラグビーが素晴らしいスポーツだと思っているので長い間、コーチと事務局長をやってきた。
よく言われる事に「継続は力なり」がある。サッカー、野球、水泳、柔道・・・何でもいいから続ける事に意義がある。
願わくば子ども達が、親達がラグビーを選んでくれたら嬉しい。
ラグビーが合わなくて、辞めても他の何かで打ち込めることを継続して欲しい。


 事務局長を4年経過する頃からそろそろ後任を探さないと!と思い始めた。
松隈会長からは「生涯事務局長をやれ!」と云われていたけど、そんな事は出来ない。ボランティアの団体では新しい血や考えを注ぎ込まないと組織は発展しないし、いつまでも居心地のいい事務局長の座に甘えて君臨している訳にはいかない。


 まず中園孝一コーチ(明善49年卒)に目を付けた。
なんとか引受けてくれるかな?という感触はあったのだが、次男の真司君が佐賀工業高へ進学した為、息子の追っかけとなり、逃げられてしまった。(現在 関東学院大)


 その次に白羽の矢がバシッと命中したのが現事務局長 白水哲也コーチ(10才年下)だった。彼は某市役所の総務課に勤務して、その傍らりんどうのHPを立ち上げた。http://fukuoka.cool.ne.jp/rindoyr/index.html

そして私のパソコンの先生でもある。何でも「よし!やってやろう!」という積極的な意気込みが感じられ、ユーモアのセンスも抜群。彼なら私がこよなく愛したりんどうの事務局長を任せられると確信していた。性格的にいい意味での脳天気な彼に「事務局長をやってくれ!」と口説き落とすのに2年かかった。現在、彼は事務局長2年目で私はそのフォローにまわっている。

 一コーチだったら担当学年の子ども達を一生懸命指導するが、事務局長という立場上、常にりんどう全体を見るようになった。ある程度細かい所に気が付くようになり、周りを見る目が出来て、自分自身が成長させてもらったようだ。

 1996年から2002年までの7年間、伝統あるりんどうの事務局長を任され、小さなミスは多少あったけど、どデカイ失敗は無かったと思う。それはいろんな問題やクレームが出た時に自分一人で抱え込まず、会長、監督や担当者と密に連絡を取って対応できたからだ。連絡と相談、気配りと根回し、これが重要だったと思う。そして、皆の協力のお蔭で何とか、そつなくこなせた事を感謝している。 

 明善でラグビーをかじっていたお蔭でりんどうと出逢い、いろんな人達、いろんな子ども達と出逢った。これら全てを私の財産として宝として、これからの人生にも活かせるだろう。

 最後に広報誌「エリス」の依頼原稿が不足した時に書いた投稿と昨年、私が編集委員長となって製作した創立30周年記念誌の編集後記を載せて、この連載を終了します。

 エリスVol.57 1999. 1.17
 モ ス ラ」
 冬休みの日曜日、小1の息子に連れられ「モスラ3」を観た。もともとゴジラ、キングギドラなど怪獣シリーズやウルトラマン、古くは月光仮面や鉄人28号などが好きで、特にゴジラの大ファンである私は「モスラ3」に連れて行ってもらえるのに何の抵抗もなく、むしろ楽しみにしていた。
 「モスラ3」は意外と面白かった。そのことを妻に熱弁しても相手にしてくれない。モスラとキングギドラのバトルも面白かったが、この映画のテーマは「愛」「知恵」「勇気」だった。剣に象徴されていたこの3つが一緒にならなければ強敵キングギドラを倒せないのだ。昔はザ・ピーナッツがやっていた「♪モスラーや、モスラーや♪」と歌う双子の小びとの妖精とちょっと悪役の姉の3姉妹と登校拒否の男の子がそれぞれの3つの剣を合わせ、見事にキングギドラを倒し、地球を救った。いゃー、面白かったなぁー。

 さて、映画館を出て「愛」、「知恵」、「勇気」・・・これはラグビーと同じではないかと思いながらハンドルをにぎった。

」・・・ちょっと意味が広いので「思いやり」と置き換えよう。
思いやり」をもって仲間とプレーし、パスをする。ミスしても誰かがフォローする。味方が捕まればモールやラックを形成し、プレーを継続する。(今年の正月OB戦でOBの青木君から思いやりあふれるパスをもらいトライさせてもらった。嬉しかったなぁー)

知恵」・・・ラグビーは球技であり、数のゲームだ。頭をつかって相手と戦う、ゲームに勝つため作戦をたてる、マークをずらして2対1をつくる、サインプレーをする、フェイントをかけ、ステップをきる、その時の状況に応じてすばやく判断する。

勇気」・・・ラグビーの醍醐味・捨て身のタックル、突破する、プレッシャーに打ち勝つ、キックをチャージする・・・などなど。
 私はアクセルを踏みながら、モスラの勇姿を思い浮かべ、りんどうのチビッ子達も3つの力を合わせて、ゴジラのように強く、モスラのように大きく翔けと願った。
 助手席ではハイテンションの息子がバトルを再現していた。私は家に着いて好きなビールをまた飲んだ。

【創立30周年記念誌 編集後記】










表紙
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背表紙
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りんどうヤングラガーズ創立30周年記念誌を発行するにあたり、書き残したい事が二つありました。
 一つは創設時の秘話や、当時クラブの創設に尽力された方々の記録。
 一つは20周年から10年経過し、更に多くの子ども達、指導者、保護者の方々との出会い、楽しく苦しい練習や交歓会、そして涙と感動の公式戦、その様々の思いをこの記念誌に残したいという事でした。このことが少しでも皆様へお届けすることができれば幸いです。
 30年という月日は、りんどうで育った子ども達がコーチとしてグランドへ戻ってきてチビっ子達にラグビーを教えてくれるという嬉しい出来事ももたらしてくれました。
そのOB達の当時の写真にも思い出と感動がありました。

そして貴重な資料や寄稿依頼に快く協力して頂き、また、多くの広告協賛もいただきましてお蔭様を持ちましてみなさんのお手元へ無事にお届けすることができました。
ご協力をいただいた皆様、またりんどうを支えていただいている多くの方々に対しまして改めて心よりお礼申し上げます。

これからも懐の深い、しなやかな『りんどうヤングラガーズ』が50年、100年と繁栄していきますよう、ご協力をお願い申し上げます。
最後の最後に一言
20周年記念誌では荒木康博氏が、30周年記念誌では桑野裕文氏が載せた言葉。
ラグビーは、少年を最も早く男にして、
 男に永遠の少年の魂を抱かせるものである

                      J.P.リブ(元フランス代表主将)


 皆様、私の理系体育会系拙い思い付き作文に長い間、付き合ってもらって有難うございました。どうにか10回続きましたよー!自分の軌跡が再認識され、ちょっと振り返って楽しいモノがありました。このきっかけを作ってくれた大坪君にも感謝!感謝!