楽苦美(ラグビー)と出逢いvol.9(事務局誕生)

 1993年のりんどう創立20周年記念事業が無事終了した頃から、松隈監督の口癖「監督辞める!」が始まった。
薬局店舗は火事になったあけぼの六角堂と隣り合わせで、あけぼの商店街の問題に頭を痛めていたし、りんどうの対外的な窓口も監督一人でやっていた。かと云って当時、松隈監督に代わる人材はいなかった。


そこで浮上したのが事務局設置案。
財津コーチ((株)サンユー社長、後にりんどう会長)が私に

あんたしか、おらんばい。
 事務局長になって松隈さんば助けてやらんね!」
 周りの空気もそうなっていたようだ。


 1996年(平成8)正式に事務局が設置され、初代事務局長誕生。
 要するに事務局長誕生は松隈監督続投延命策だった。
 そして協会の登録ではりんどうの所在地は尚文堂印刷となった。

 2〜3年前から松隈監督の手助けはしていたので仕事としては「対外的な窓口」が増えるだけかな?と思っていた。ところが大間違い!
約180名の子ども達とその保護者、60名のコーチ達という大所帯の真ん中で右往左往する羽目になった。


どんな仕事をしていたか、列記してみると

 りんどうの顔(大した顔じゃ無いけれど)として対外的な窓口を果す。
              (これはヘマが出来んぞ!と思った。)
九州協会、福岡県協会やラグビークラブの連絡を受ける。(主に郵便、FAX)
内容により会長、監督、各担当者へ連絡する。
連絡方法は主にFAX、電話、朝のミーティング、最近ではメールなど。そしてその対応をする、または各担当者にしてもらっていた。


 りんどうでは各学年で電話連絡網があり、事務局がその発信源となる。
これがまた、大変なんです。
伝言ゲームだから間違った内容や途切れてしまう事が度々あり、その問い合わせが直接事務局へ逆流してくる。晩酌しながらコードレス電話器を目の前に置いていた。おちおち焼酎も飲んでいられない。


しかし、自分の電話1本で200軒以上の家庭に連絡が回るというのは、なかなか気持ちが良いものである。

最近では電話連絡網を流す前にメールで一括送信していた。
ところがパソコンから携帯のドコモへ一括送信すると瞬時では無く、1〜6時間後に着信する事が分った。それはドコモの迷惑メール対策によるもので、電源を切って無い人には真夜中に着信してビックリさせた。


 普段は附属中で練習するのだが、附属中や附属小で行事があるとグランドが使えないので、その時は河川敷や明善、医大といったグランドを確保しなければならなかった。
 グランドの確保と云えば交歓会の時もある。2〜3ヶ月毎に交歓会があり、各クラブと隔年でホームとアウェイの定期戦を行っている。久留米で行う時にはグランドはもちろん、駐車場の確保もある。(最近では城南中教頭 田島静男先生にお世話かけました)
交歓会当日はスケジュールの進行具合や問い合せに対応する為、グランドの真ん中に立ち、目立つジャージを着ていた。


 相手チームを迎えるに当たり、気掛かりなのがだ。1週間前から週間天気予報に注意して、雨の確立が高い時は前日に電話がある。
「久留米に行くかどうか明日、午前5時に電話します。」
バスのキャンセルのためにそんな早い時間に起こされる羽目になる。
携帯電話を枕元に置いて寝た。


アウェイの時は大型バス3台手配して、相手クラブとの連絡に追われる。
(りんどうからの問い合せに対応する為)


他には、運営部会やコーチ会など会議開催にあたっては日時の決定、場所の手配、案内、議題、資料作成をしていた。

 夏休みに入るとすぐに夏季合宿があった。入部した頃は鯛生金山スポーツセンターでやっていた。ラグビー場は2面あったが夕立ちの後は草が臭かった。(今はワールドカップ・サッカーでカメルーンが来たので綺麗な芝になっている)
 食事は1日2食で朝飯抜きの練習はきつかったなぁ、10時頃やっとバナナが支給された。一番美味しいのは水!
  (冷たくてウイスキーや焼酎の水割りには最高だった。)

  おっと、話が逸れた。

 最近では国立阿蘇青年の家で夏季合宿は行っている。
         (桑野君が見つけてきたのかな?)
ここの食事はバイキングで食べ放題!なかなか美味い。
事務局としてはそこへの連絡、確認、バスの手配等をやっていた。
合宿委員長なるものも一度やった。それは主に青年の家と他の団体との連絡調整係なのだが、夜は恐い。部屋での飲食は厳禁なのだが守ったことはない
 酒が入ると声が大きくなる、すると心臓に悪い放送が流れる。
りんどうヤングラガーズの責任者の方は至急事務室までおいで下さーい!
 また怒られる・・・・・辛いものがあった。


 風呂委員長(ソープ委員長とも云った)という役目もある。
浴室で体を洗った後、よく拭き上げてこないから脱衣場の床はビチャビチャの濡れ場と化していた。そこでりんどうお風呂のこだわりルールが出来た。浴室の出入り口に交代制で立ってキチンと拭いているか、検閲するのである。お蔭で脱衣場は綺麗になり青年の家からは喜ばれた。しかし、風呂では裸になるから他の団体の子と区別がつかずに注意すると変な目で見られた。


 その他、事務局のお仕事はいろいろあった。
この「いろいろ」が一番大変だったのかなぁ?
コーチ、保護者からのいろんな問い合わせやクレーム受付が多く、夜の電話は賑やかで長電話が多かった。


「○○コーチのケータイ教えて!」「○○さんのアドレス教えて!」
そんな時は「はい、こちら、りんどう104です」って返事していた。


しかし、電話がかかってこない日は妙に寂しかった・・・。

 松隈監督から言われた。
「坂田君の好きなようにせんね。」その言葉に支えられ、

「俺がりんどうを動かしている!俺がせんなら誰がする?!」という自負、うぬぼれ、開き直りがないと事務局はやっていけない!と思うようにした。実際は皆の協力があってこそ、上手く回っていたのだけど・・・。

 2000年、10年間監督を務めた松隈さんが辞めた。
そして後任として「桑野監督」が誕生した。
財津会長と私が後押ししてコーチ会で推薦を受けて運営部会で選出した。
松隈新会長、桑野新監督、坂田事務局長の体制がスタートした。
新監督は「よろずや桑野」だけではなく、行動力、実践力、判断力に優れ、弁も長けてりんどうをまとめるのに努力を惜しまなかった。
彼はラグビー経験者ではないから監督には?という一部の意見もあったが、そんな事は関係ない!熱意を持って何事にも対処してくれたので事務局としては大いに助かった


 桑野監督就任に付き、お願いした事があった。
それは多少の雨でもなるべく練習を中止にしないでくれ!という事だった。天気により練習をする、しないは最終的には監督の判断による。彼は附属中に一番近いところに住んでいるし、雨の時は朝早くからグランドを見に行っていた。


 私は子ども達を泥んこにさせたかったのだ。真白なTシャツが真っ黒になり、洗濯するお母さんは大変だろうが、それだけ子ども達は雨の中でも頑張ったという証拠なのである。普段、泥んこになる事って、あまりないでしょ?
 練習後、顔まで泥がついている子を横目で見ながら私は喜んでいた。

 子育て論でよく言われるのが「叱るより誉めろ」。正にそう思う。低学年の時、練習がイヤで草むしりをしていた子が3、4年生になると初めてタックルに行きそうになった時、初めてタックルに行った時、相手に向かって初めてボールを持って走った時なんか
凄い〜〜〜〜!!やったーーー!!出来るやん!!
オーバーに誉めまくった。
長いスパンで少しずつの成長を見ていくのが楽しみの一つだ。

  ブタも煽てりゃ木に登る」のである。

 ラグビーの好きな場面の一つにトライシーンがある。単にトライしたことは差ほど問題ではない。トライした子が少し照れるような仕種でボールをキッカーに渡す。ガッツポーズや派手なパフォーマンスは無い。(最近の社会人や大学ではガッツポーズが見られるようになってきた・・・まぁーそれも良いのかもしれないが)
 それはトライした!というより皆からトライさせてもらった!ということだろう。タックルで、ラックにつっこんで、キックして、パスして、といういろんなチームプレーの結果、トライに繋がる。
 だから「俺がトライした!」なんて言うと「アホか!」と皆から思われる。そんなひたむきさが好きだ。


 子ども達がのびのびとラグビーをやっていくには熱心なコーチ陣も必要だが、お母さん達のパワーが大きく左右する
最初は我が子だけを必死で見ているけど段々と周りの子にも目が行くようになる。子ども達は筑後一円から集まって来るので校区外の友達ができ、お母さん達も友達の輪が広がる。お母さん達の口コミによる入部も多い。

 そして友達は次第に絆がより強い「仲間」へとなっていく。それはきつい練習や激しい試合などを共に戦ってきた戦友みたいなものだろうか。
 ラグビースピリットの「自己犠牲
 all for one, one for all
 (皆は一人のために、一人は皆のために
の産物だろうか。
お母さん達も共に感動し、涙した「仲間」となっていく。
卒業後も同期会(飲み会や温泉旅行)を開く学年もある。


入部する時「この子を男にして下さい!」と懇願するお母さんもいた。

 小学5、6年生になると福岡県大会など公式戦があり、声援も凄いものがある。
行けーっ、行けーっ、倒せー、止めろー、キャー、ギャー
 何とまぁ五月蝿い事!

首タックル(首に相手の腕が巻き付く危険なプレー)された子のお母さんは
 「ウチの子に何ばすっとねー!」(マジで怒っていた)

 春日公園球技場ではゴールポストの真後ろが観客席になる。トライ後のゴールキックを狙う我が子に

お母さんはここよーー!ここに入れなさーーーーい!!」(観客席大爆笑)

 もちろん、お父さん方の強力な協力も必要だ。普段あまり応援に来ないお父さんが応援に来ると必ず今まで以上に頑張る子もいた


 夏合宿では小2のお母さんから出発直前にこんな事も頼まれた。

「夜中3時ごろ、起こしてトイレに連れていってもらえませんか?」
 宴会の後に自分が起きるのも辛かったが、頼まれた事だし、その子が失敗しても恥ずかしいだろうから、必死で起きた。今ではその子は大学4年生、就職活動が忙しいだろうなぁ。

 大分ラグビースクールとは毎年9月第2週の土曜日にホーム・ステイして翌日に交歓会を楽しんでいる。今年はりんどうが受け入れる年で、同じ学年の子の家に大分の子が2人組で泊まり、夕飯はカレーライスと決まっている。それはほとんどの子はカレーが好きだし、お母さん方があれこれメニューを考えなくいいようにと決められている。ただし、カレーの具までの規制はない。
 そして指導者は懇親会、最後は久留米ラーメンをご馳走する。これがあるから大分RSの指導者達と仲がいい。こんな交流が27年続いている。
 特に親しくなったコーチとメールで連絡を取り合って「日帰り関アジ・関サバ・ツアー」を企画、佐賀関へおしかけた事がある。(内緒だが練習サボって・・・)
 このコーチは私の事を「九州主席最高事務局長」と冗談でメールしてくる(笑)

注:今回は、いままでの倍以上の文章ですが、事務局としての苦労話(ウラ方、世話役)が的確に判りますね。
  母親の熱意。父親の応援。教育関係者は、よぉーくしっててもらいたいね。
  合宿での練習、内緒での飲み会?風呂の世話からしものお世話までたいへんでしたね。(笑)

  トライまでの15人の役割。それがラグビーなんだ。
  ラグビーといえば、「青春とはなんだ」(夏木陽介主演)で初めて知ったのかな?
  明大学、新日鐵釜石の監督を務めた森硝子店の森さんもトライしてガッツポーズはしないと言ってました。
  「all for one、one for all」ってこれが原点?
  宮ノ陣小学校や中学校の標語で使っていたな。知りませんでした。

 さて、「事務局長奮闘記」も次回が最後となります?