思い出すまま、引き続き書き進めさせてもらいます。
話がとんだり前後したりもしますが、「引き続き」許してください。
いよいよ本番
東大病院に移って一週間。
2月25日いよいよ移植手術当日が来ました。
ストレッチャーに乗せられ、手術室に出かけるのは朝の8時。
ストレッチャーの上で精神を落ち着ける注射が打たれ、ぼんやりしてくる意識の中で「嘘でもいいから大丈夫って言ってくれないかなぁ」といったそうです。
よく覚えていませんでしたが、言われたら何となく思い出しました。
片道切符の不安がよぎったのでしょう。
不安がないといったら嘘ですから、ある意味正直な気持ちです。
(先生を信じていないようで申し訳ないですけどね)
同室の少し前に手術した人から「手術室に入る前にもう意識はなくなっているよ」と聞かされていましたが、そのとおりでした。麻酔科の先生は「手術室で麻酔をかけるまで意識はある」と言ってましたが、経験者の話が一番です。
同じく、同室だった一年前に移植した僕よりずっと若い人からも話を聞き、傷も見せてもらいました。確かに傷はすごい。でも、「大丈夫ですよ、たいしたことないですから」という言葉に、なんだかホッとしました。その後、自分の傷と比べると、僕の方がきれいに仕上がっているように感じました。(温泉に入っていると、目立たないようにしているのですが、やはり「傷」がある人が寄ってきて、「どうしたの?」と聞いてきます。何しろ、きれいだといっても半端な手術跡ではありません。ほとんど手術跡の横綱です。)
大 手 術
手術は20時間、25日の朝からはじまって、翌26日の明け方までかかりました。移植チームの先生たちと看護士さん、そして麻酔の先生が3人、総勢20名近くのスタッフがかかわっての、きわめて難しい大手術だったようです。
僕の出血は10リットル。肝硬変は出血が多いとは聞いていましたが、二人分の血が流れたことになります。心臓も一度は止まるでしょうとも言われていましたが、それはどうだったのか、聞いていません。
肝臓を摘出し、洋一の肝臓の一部をもらい、脾臓と胆嚢も摘出です。
手術室で「もう終わりましたよ。あとは、次の部屋で眠ってもらって、目が覚めるときは病室ですよ。」といわれたあと、眠るどころかガスっぽい部屋で手術がまたはじまって、しばらくいじられていたという意識が残っていますが、夢なのか現実なのか。多分夢でしょう。
手術直後の記憶は少しあるような気がします。
レシピエント向けに書かれたパンフレットに書いてあったとおり、術後の肺のトラブルを防ぐために、手術直後に痰を吐かせられるのですが、ものすごく苦労していたのを覚えていますが、今から思うとすべて夢のようです。
手術室から出てきた時、家族や政労連委員長と「面会」したようですが、その記憶はありません。
麻酔の先生が事前の説明のときに深刻な顔をして「大手術ですから」と言っていましたが、ほかの手術と比べられる麻酔科の先生だから言えた言葉なのでしょう。
移植外科の先生は、これが「日常」ですから、当たり前のように淡々と毎日の処置をしていきます。
はっきりと覚えているのは、ICUで家族と面会した時です。手術からどのくらいたっていたのかわかりません。
すぐ上の兄貴が正面にいて微笑みながら「よかった。よかった。」と言ってくれていました。
助かったんだ。
すぐ涙があふれてきて、「ありがとう、ありがとう」と繰り返していました。そして「洋一は大丈夫か」と聞いていました。
手術後、見舞ってくれた仲間は、僕の症状を確認したあとに、みんな「洋一君は?」と聞いてくれました(今でもよく聞かれます)
洋一のこと
洋一の術後の経過もよく、一度先生が車椅子でICUに連れてきてくれたこともあり、無事、3月11日に退院しました。
担当の先生も洋一の様子を教えてくれていました。
僕が一般病棟に戻った日の翌日です。まだ傷がすごく痛そうでした。
期末試験は受けられなかったのですが、進級できました。
四月の新学期からは学校に通っています。2週間で肝臓はもとの大きさになるとのことでした。しばらくの間、体育の時間はすべて見学でしたが、今はテニスなどやっています。
逆ならまだしも、自分の子から命をもらうなんて、想像もしないことでした。洋一には本当に痛い思いをさせてしまいました。洋一の手術も8時間かかりましたが、出血は少なく、採っておいた自己血500ccも使わずに済んだそうです。
つづく
―次回はICU、HCUの二週間です―
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