終 章

自宅療養
 4月から、それなりに緊張した自宅療養が始まりました。

  感染症予防のため、犬猫には一年間接触禁止です。


室内で飼っているゴールデンリトリバーの「モモ」と猫の「ジジ」をどうしようか、と相談しましたが、とりあえず僕は2階、ワンちゃんたちは1階のリビングと住み分けました。
 なにしろ、コーディネーターの野尻さんに聞いたところ、「モモのいる部屋に入る前にモモを部屋から出して15分換気すること。毛やなめられるのが一番悪い。モモやジジに触れた手でレシピアントや食器に触らない。少なくとも半年は同じ部屋にいないこと(クールな菅原助教授の説は「1年間隔離」とのこと)。

実際には、モモたちに触らないだけで、換気の件はエアクリーナーを購入して対応しました。

これだけは絶対、といわれたエアコンの掃除や台所の掃除を退院前に業者にたのみました。

 カビ、雑菌がよくないといわれたので、ほとんど過飽和状態の超古い布団は、捨てたり打ち直したりしました。

指示に従い、手洗い、うがいも頻繁にやるようにしました。
ドレインがまだついているので、落差を確保するためベッドも買いました。
このように、はじめはかなり神経質になっていました。
なにしろ、頭にあるのは合併症や感染症のことばかりです。

予想される合併症
胆管合併症
 胆管狭窄・胆汁もれ20%
 感染症
 サイトメガロウイルス15%
 EBウイルス 2%
 真菌(かび)7%
 結核 1%
 ニューロパチー(筋力低下)1%
 ステロイド性白内障1%・・・・・
 合併症の頻度ですが、外れることを祈るのみです。

 当面は、2日に1回のインターフェロンを東大病院に打ちに来るように言われていてので、タクシーでマスクをして通っていました。
タクシーの運ちゃんに「ゴホゴホ」なんてやられると、表向きにこやかに世間話をしながら、「殺すつもりか」とビビッていました。
そのうち、近所の医院に紹介状を書いてくれて、そこで注射を打つようになり、東大は週イチになりました。
僕は新宿住まいだから東大の目と鼻の先ともいえますが、四国や福島から通ってる人もいるようでした。術後のことを考えて東大のそばに引っ越した人さえいるようです。

日 課
 朝5時からは食事禁止で6時からは水分も禁止。
  6時に起きて体重、体温、胆汁量をはかり

  7時に免疫抑制剤を飲み、30分以上たって食事
食後の薬を飲んだら、ドレインから溜まった胆汁を胸の管から体内に戻す
 10時に検温

 12時にまた胆汁量を測り記録・・・・・

 17時に食止め
 18時に水止め
 19時に免疫抑制剤
・・・・・

 いろいろやることはありましたが、特段の異変もなく、つつがなく一日一日が過ぎていきました。

 連休が明けた頃には、うろうろしちゃだめだと言われながら世話になった人や職場に顔を出し始めていました。

 「何かあったら洋一君に申し訳ないよ

  このひとことは効きました。
  きちんとしなければ。

洋一はまだ少し前傾していましたが、ずいぶんよくなっていてホッとしました。


入 院

 といっても予定のコースです。
術後3ヵ月の経過を待って、胆管につなげている管と体内に戻す管を抜くために、「胆管狭窄・胆汁もれ20%」を覚悟しつつ、5月25日に再度入院しました。
  一、二週間の予定ということでした。
 何もなければ一週間、ということです。
 というわけで「長くても二週間か」と思っていたら、入院の直前に、外来で会った一年半ほど前に手術した人に、「僕のときは胆汁が漏れてひどい目にあいましたよ。本番よりも痛いくらいで、一ヶ月七転八倒でした」と聞かされました。
つまらない情報を寄こすものです。
 おかげで「一ヶ月」も覚悟させられました。
さいわい、26日、27日とスムーズに管を抜去。
熱も出ず、漏れもなく、狭窄もなく。
ほんとにホッとしました。
それに、抜くときもチクリともせず意外でした。
もう30日には外泊が許可され、31日に退院となり、6月からはぶら下がっているものがない自由を手に入れました
 感染症については、神経質に注意している人がかかるかと思えば、適当にやってるような人が案外、平気だったり、同じような検査結果でも経過がいい人、悪い人がいたり、ほんとにさまざまのようです。
 「一年は入退院の繰り返し」を覚悟するよう言われてはいますが、その後の経過も順調で緊張感はだいぶ薄らいできました。
「生きているのがありがたい。人生の目的なんていい。生きていることが大事」だったのに、最近は、
「生きているのが当たり前」のような感じになってきています。

朗 報

 インターフェロンを、一年半も続けているという同病の人がいます。
副作用と闘いながら頑張っています。
その人はやっと最近になって急激にウイルスが減ってきたようで喜んでいました。
僕のは、C型肝炎ウイルスの中でも始末が悪いと評判のウイルスです。
日本人のC型肝炎の8割がこの型とのこと。
注射が効いて消える確立もかなり低いのです。


 「一年半かあ、長いなあ」

 それにあとでわかったのですが、こいつが消えてくれないと、また肝炎がまた進行し、もらった肝臓の状態、年齢にも影響されますが長くても10年もすれば肝硬変になってしまうのです。早ければ3年とか。

 癌も出やすくなります。

この癌も、移植前と違って免疫抑制剤を服用しているので、出てしまったら取り返しがつかず、医者はその段階で「あきらめる」しかないような話です。
いくつか例もあるようで、「とりあえず一年みましょう」先生はそんなことを言っていました。
 そのウイルスが7月8日の検査の結果「検出不能」になりました。
検出はされないのですが、ごく少量残っている可能性もあるので、「消えた」とは言えず、しばらく注射は続けなければなりませんが、
 何よりの朗報でした。


移植を必要としている人が、だれでも移植を受けられるわけではありません。一人一人が
検討委員会(僕の場合は倫理委員会も)の慎重な審査の対象になるようです。
 合併症に苦しむ人もいます。

 誰もがここまで来られるわけではありません。
 ほかの難病で苦しんでいるひともたくさんいます。
言い古された言葉で、みんなが知っていて、でも分かっていない言葉。

「健康が一番」

おわりに
 「肝臓移植というのは単なる手術だけではありません。・・・想像を超えるほどの内面的強さを必要とし・・・、あなたがこの体験を『さっと通り抜ける』と期待されているわけではありません。移植チームの精神科医などと話し合うことは非常に有益です。非常に多くのレシピエントと仕事をしてきており、内面的強さを発見するのを手伝うのに非常にふさわしい人たちです。」(レシピエント向けパンフレット)
僕にはみんながいてくれました
多少の「内面的強さ」が僕にあったとしたらみんながくれたものです。
そして今、こんなに元気です。

 ことしからまる儲ぞよ 娑婆の空(一茶)
                             おわり

大坪くんへ
なんとか形をつけました。
手直しまでさせてしまって、ゴメン。
卒業アルバムの「寄せ書き」まで載せてくれた。

 7月24日、51回目の誕生日
  家族が祝ってくれ、寄せ書きとプレゼントをくれました。
  もうすぐアメリカに行くひとみ(18)が
こんなに誕生日ってめでたいもんだったんだね
    と書いていました。

ここまで付き合ってくれた仲間たちへ
  ありがとう。
  1月の同窓会で会えるのを楽しみにしています。

                              栄三郎