最後のトラブルといよいよ退院

22日にも退院?
 一般病棟に移ったら、すぐインターフェロン投与の話が出はじめ、術後一ヶ月も経たない3月16日にはインターフェロンの注射が始まりました。もう少し経ってからと思っていましたから意外でした。
 8年前に一度インターフェロンを打ったときは副作用がきつく、二日に一度注射するたびに高熱が出て、そのつど座薬で解熱するというのを繰り返したので、またその再現かと覚悟していましたが、手術前に、先生から聞いていたとおり
 「移植後は副作用の出方が違う」というとおりでした。


 初めの頃こそ微熱が少し出たりしましたが、八度を超えることはまれでしたし、しばらくしたら微熱も出なくなりました。
これも意外で、幸運でした。
このように相変わらず順調で、この頃には退院の話が出始めていました。22日に退院してもいいと思いますがもう少し様子見ますか、という感じで、念のため25日までいるということになっていました。
というわけで職場にも「25日退院予定」と連絡していました。

サイトメガロウイルス
 3月23日の夕方、足元のカーテンがゆれたと思ったら、竹村先生が腰から上だけが斜めにのぞかせて、
 「悪い知らせです
何のことかと思ったら、
 「血液検査の結果が出たんですが、サイトメガロウイルスが見つかってしまいました」
 〜2週間退院が延期になります」とのこと。
予想される合併症の「発症率15」の代物です。
さっそく抗生物質の点滴が始まりました。

 友達が「弱っちい名前」と言ってくれましたが、そしてたいていの人にとっては本当に「弱っちい」のですが、拒絶反応を抑えるために免疫抑制剤を飲んでいる僕らにとっては、放っておくと脅威になるのでした。
 このウイルスは一週間で消え、その後一週間は錠剤の抗生物質の服用を続け、完全にやっつけることができました。

出血大サービス
 27日の朝、その日は妻が朝から来てくれていました。
さて、食事に行くか、とベッドから起き上がると、突然妻が

どうしたの、それ?


 パジャマの間からのぞく腹帯が真っ赤にぬれているのを発見したのです。

かなり出血していましたが、まったく気づいていませんでした。
胸から差し入れているチューブの脇のところから出血していたのです。
さっそくナースコールして、先生に来てもらいました。今から思うと不思議なくらい動揺がありませんでした。
 「小さいやつだけど動脈が切れてる」とのことで、
先生の方が驚いて、ドクドクと噴出している(らしい)血を先生が押さえながら応援を呼びました。

 そしてその場で止血の処置が始まりました。
 「こんなことはよくあるんですか」と聞くと
 「いやあ、僕もはじめてですよ」と先生、
 ここではじめて少し心配になりました。
 ただ、応援に来てくれた金子先生は前に経験があるようで、局部麻酔をしたかと思うと、テキパキ止血の処置をしてくれました。
 「これで大丈夫だと思います
 先生たちは、ほとんど絶対といっていいほど「大丈夫です」とはいいません。それどころか、
もし退院した後にまた出たら、抑えて救急車で来てくださいよ
  ですって。
まったく素人には不安なおことばです。
心の声が「一回で終わりにしてほしいよ」とつぶやいていました。

三十一日、無事退院
 「今度こそ、間違いなく『退院しました』。今、東大病院の門を出ました。
25日退院のつもりで準備していただけにガッカリでしたが、かえって入院中に起きてよかったともいえます。
 おかげでウィルス撲滅作戦が効を奏し、昨夕、晴れて退院が決定しました。
 僕自身は、この一連の出来ごとを、何よりも、今後に向けた警鐘と受け止めています。
 これから病院の管理を離れ、自分自身の責任で自己管理しなければなりません。
 まだいろんなことがありそうです。
 いよいよこれからが本番、そんな決意で皆さんの暖かい気持ちに応えていきたいと思っています。 」

 31日、職場に送ろうとして用意したメールです。
病院まで見送りに来てくれたのでまぼろしになりました。
桜満開の中、娘二人が迎えに来てくれました。
そしてわざわざ来てくれた職場の仲間に送られて、多少不安を持ちながら、晴れて退院しました。
                               つづく
                            ―次回終章―