楽苦美(ラグビー)と出逢いvol.3 (1年8組〜初トライ)

1年8組の写真解説をしよーっと。
 30年以上経てば誰だって変わるけど特に風貌が変わっているのは男子では後藤敏夫境政人かな?
 (それが分かるかな?)の向かって右隣が境政人。あだ名は「タロー」、「ロ」をドイツ語的に舌を巻くのが正しい発音です。昼休みにいつも「チェリオ」を飲んでいたので「チェリオ・タロー」、ボーリングが流行ってあの体形にしては上手いので「テクニシャン・タロー」「レーンの魔術師・タロー」とからかっていた。
 後藤敏夫(私の左2人目)はプロレスが大好きで、柔道の時間も「ボディースラム」とかプロレス技をやってたなぁー
 中山孝一、早田増臣、遅刻の常習犯
 桑野先生が腹かいて
「今、来たの!もう!よか。帰らんの!早(はよ)、帰らんの!!」と追い返した。

 授業中に中山、早田と私がいやらしいこと(思春期なもんで・・・)を本に落書きしてふざけているのをタローが覗いて興奮して笑い出し、それを堪えようとして(首を締めながらモガク様子・・・)それが目立って先生には怒られるし・・・(特に十時先生)
 女子は人気ある子が連なっていたなぁと今になって分かりました。個人名を挙げるとイカンので差し控えます。うーん、記憶に鮮明なのはよく怒られた長崎さん。
 「坂田くぅーん!ちゃんと、掃除せんねぇー!」
  恐かったm(__)m

 
 さて、ラグビーの練習といえば楽しかったとはとても言えない。走力はあるけど持久力の無い私には終りの無いランパス(走りながらパスをすること)や練習後のボール磨き(皮のボールに唾をかけ、ピカピカに磨くこと)や練習をサボった次の日の居残り練習・・・きつかったなぁ
 また、3年生の先輩よりその1つ上、2つ上のOBが熱心で練習にはよく来てくれた(というより、よー来るね!早(はよ)大学行けよ!というのがホンネだ
先輩には可愛がられた。ランパスでは竹刀を持って追いかけられた。(その先輩達とも今はりんどうで同じコーチとしてグランドに立っている。)


 公式戦では相手は八女高だったかなぁ?
 相手ディフェンスが弱かったせいか、前半で2トライした。相手を引き付けて、いいパスを中垣さんが回してくれた。息が上がって戻ってくると
 「走り込みが足らんけんたい!」とOBが言った。
 「えー!誉めてくれんの?」がっかりした。

 だけど後半、センター半田さんがインゴールへのゴロパン(ゴロのキック)を押さえて3トライ目、これにはOBも仲間も喜んでくれた。自分でも笑顔が出たのを覚えている。

 
 次はりんどうヤングラガーズとの出逢いを書こうと思うけど、それには悲しい現実を避けて通れないのが辛い

注:1年8組の風痕変身コンテストでもやると受けるかもね。人のことは言えんよな。
  しかしなんで「タロー」なんだろう?桑野先生のあだ名が「わらじ」(写真で確認してください
  長崎サンは現在テキサス州ダラスに在住です?
  海外在住は、現在4人かな?米国2人、フランス二人(夫婦)
  この初トライで誉めてもらえなかった経験が、りんどうでの指導に役立った?
  ついにりんどうヤングラガースに出逢い?辛い現実か・・・早田君のこと?