HCUでの9日間

HCUの九日間へ
予定通り5日間でHCUに移りました。
3月1日です。この頃には幻覚が消え始めました。
長島監督が倒れたり、鳥インフルエンザの騒ぎがあったりした頃です。
移って2日目あたりに「眠れたなあ」とはじめて思いました。
細切れに2時間弱ずつ4、5時間だったと思います。
短い時間でも「眠りに落ちた」という感覚はとても気持ちいいものでした。
この頃はまだ、あまり痛みは感じませんでした。
麻酔が残っていたのか(そんなことない?かなあ)痛み止めが点滴で投与されていたのか、その辺はわかりません。
レシピエント用のパンフレットに書いてあったとおりですが、やはり意外でした。
もちろんすぐに痛み始め、痛み止めをお願いするようになりました。
はじめは1日3回でなく、「4時間あければ大丈夫だから、痛くなったら言ってくださいね」ということで、少し聞いた話と違うなあと思いましたが、初めて優しい言葉に接した感じがしました。
しかし実際には1日3回どころか1回ですむこともありました。1日3回頼んだことは入院中を通して一度か二度だったと思います。
(みんな優しいのです。ICUでもただ眠らせておけばいいと思っているわけではありません。念のため。)
 ひそかな決意がありました。
 「我慢してやる
手術の前に、一般的に男の方がこらえ性根がない、女は出産を克服できるが、男にやらせたら死んでしまう、という話がされていました。その後もいろんな場所で聞きます。
負けてたまるか」と思っていました。(ここで張り合ってどうすんの?)
     力んだわりには「案ずるより生むがやすし」でした。

あわてない、あわてない
 日に日によくなっているのを実感しました。そして少しHCUにも飽きてきました。
そこである日、先生に聞いてみました。
 「一般病棟への移動はいつ頃になるんでしょうか?」
先生は、
「そんな心配よりも、今、再手術がはやってますから、気をつけてくださいよ。仲間入りしないでくださいよ。まだ二山も三山もあるんですから」
(そうか、HCUにいるということは、手術は成功したけど、助かるかどうかは未定なんだ。気をつけろ、といわれてもねえ)
 
 確かに、パンフレットには「起こるかもしれない合併症」の冒頭に、「冠動脈門脈血栓症(術後一週間以内)」というのが書いてありました。先生は、二週間は心配と言っていました。

 冠動脈と門脈が同時に詰まる、「もっとも重篤な合併症」です。この場合は「再移植しかない」と書いてあるのですが、前に書いたように、このことを兄が心配して先生に聞いてくれたのでした。
そこで書いたように、東大ではやらないようですから、その時はあきらめるしかない。そ言うわけで、ただただ起きないように祈るだけです。
どちらか一方が詰まると再手術です。
胆管のトラブルなども書いてありました。
 2週間は、待ってる間は長く終われば早かったような。時間感覚というのはおもしろい。「待たない」のが一番です。
 2週間たった日に、先生が「おめでとうございます」と言ってくれました。
この血栓を避けるために、血液をさらさら状態にするヘパリンという点滴は、退院の直前まで続きました。

「血流良好溜まりなし!」「肝離断面異常なし」
 術後二週間以内は、今言ったように肝動脈、門脈に血栓ができる可能性があり、これが一番いやな合併症です。
 この血管のつまりがないかどうかを、担当の松井先生が朝晩エコーでチェックしてくれるのですが、その度に先生が「血流良好溜まりなし、順調です」「肝離断面異常なし」(息子の肝臓の一部を切り離して移植するのですが、その「離断面」にトラブルが起きる可能性もあるのです)と言ってくれるのですが、この言葉が、初めの頃はなんとなく気休めに聞こえたものです。

 無意識に悪い方を考えるのでしょうか?
 
 確かにそのほうが、うまくいったときの喜びが大きいし、何かあったときのための心の準備にもなります。
 血液検査も朝晩続けられ、血のサラサラ度は病室においてある装置で直ちに計測し、数字を教えてくれました。
 数字なんかわからないのですが、採血担当の、やさしい研修医の女の先生が、そのたびにOKですね、と教えてくれました。

メル・ギブソンもかくや

 調子がよくて一般病棟への移動を考えた頃、ゆり戻しに見まわれました。
 「痛い」
 どこということはいえないのですが、痛い
 どちらかというと傷ではなく背中の方です。

少しずつ痛み始め、それがだんだん強さを増してきました。
それでも、メル・ギブソンが映画の中でボカボカにやられて、それでも這って逃げようとしている場面を思い出し、「あれはこのくらい痛いのかなあ?」ととぼけたことを考えながら、まだ我慢していました。
 その時、妻と長女が来てくれていたのですが、会話をするのが苦痛になってきました。話すにしても、やっと、途切れ途切れにしかできません。
先ほどの「我慢してやる」ではありませんが、どこまで我慢できるか試してやろうという気もありました。
 その内僕は黙っていて、二人が話していました。
 だんだん自制心に自信がなくなってきたと思っていたら、ついに、
少し黙っててくれないか
   とうとう言ってしまいました。
 すぐに謝りましたが、痛そうにしているのを見ていた妻が、担当医に「こんなに痛がるのははじめてなんですけど」と言ってくれました。
 そして、普通の量の倍ぐらいの痛み止めを投与され、目を覚ますのかなあ、とほんの少し不安がよぎる中、スーッと暗い淵に落ちていきました。
あとで先生が「奥さんに怒られちゃいましたよ」とおどけて笑っていました。

 悪 夢

 同じ頃、幻覚が消えてホッとしていたら、ものすごく怖い夢を見ました。
言葉には表しづらいのですが、
村のお宮の公民館をまず、思い浮かべてください。
その中にあなたが一人いると、どこからともなく折れ曲がった釘のようなものがでてきて、部屋の中を飛び回り始めたかと思ったら、その量がどんどん増えて、その中に自分のからだが巻き込まれて微塵に切り刻まれていく。これが第一弾。
 第二弾は、膝のあたりで小さな折れ釘が騒ぎ始めたかと思ったら、その攪拌でがひざが破裂し、からだも破裂する。ハリーポッターが大蛇の牙で日記を突き刺すと、からだの中から光が出て悪い奴がやられるシーンがありますが、その光が「折れ釘」だからこれは痛そう。
 言葉にすると大したことはないのですが、その時は何かの合併症や悪い副作用だと思い、怖くて看護士さんに(今のようにそれなりにうまくは伝えられません)訴えました。
 モニターやその他の検査ではわからないものですから、看護士さんも訴えられても困るでしょうが、かなりしつこく訴えて困らせていました。
ホントに怖いと思った夢は子供の頃に一度あったきりですが、その比じゃあない。
翌日、その看護士さんを見つけて、
「昨日はすみませんでした。困らせてしまって」
謝っておきました。
きっと普通の精神状態ではなかったんだと思います。
                             つづく
                    ―次はリハビリから一般病棟へ―