リハビリから一般病棟へ

訓練のはじまりはじまり
 何しろからだの自由がききません。ただ仰向けに寝てるだけです。
何か処置するときは起き上がって座ったり、うつ伏せになったりはします。
肺の病気予防のための、一時間のうつ伏せはかなり苦しいものがありました。
パジャマの着替えのときは、ベッドの脇のバーを握ってその引っ張る力でからだを少し横に傾けたり、足を踏ん張って腰を浮かせたりもしました。
着替えのときのこんな「協力」は、だいぶ助けになると言ってくれました。
 話には聞いていましたが、HCUに移ってすぐ、もう歩かされました。
はじめは廊下に出て、体重計のあるところまで10メートルぐらい、先生に支えられて。
 二日目は、その先にある「スタッフセンター」のところまで。
 その翌日は、ほとんど廊下の端まで朝、夕二回。
 4日目あたりには、自分で一日に何回か歩いていました。
 歩くのはいいのですが、それよりもベッドから立ち上がって歩き出すまでが大変です。
まず、電動ベッドの上半身を起こします。
次に、左側の二本のドレインを(外に出している体液が体内に逆流しないように)鉗子で止めて、その先にぶら下がっているビニールのバッグを、ベッドの上に持ち上げます。
そして、ベッドの上でからだをなんとかよじって、ベッドに右をむいて腰掛けている状態になります。
五体満足に動く人には想像しづらいでしょうが、ここまででも結構大変です。
そして、管をからだに挿しているところよりも、袋が下に(ひざぐらいの高さ)なるように、さっきのドレインを、自分のパジャマにぶら下げて、鉗子をはずします。
右側の四つばかりあったドレインも同じようにします。
そうして、やっと踏み台を利用しながら床に立ち上がるのです。
はじめは、これだけでも、それはそれは苦労でした。
慣れていくにしたがって、ドレインの数も減っていきました。

 一日四回の検温、飲んだ水の量のチェック、尿の回数、薬を飲んだら○をつける、食べた食事の量(出された量の何割ぐらいか)、朝夕の体重測定、なども自分でやるように言われました。

はじめは、何もできないんだから全部面倒見てくれる、看護婦さんはやさしいはずだ、という思い込みが、無意識にあったのでしょう。だから、「協力」という意識になるのです。 ところが違いました。
   「自分のことは自分で。」
 これが基本です。
介護ではなくリハビリなんだと、途中から考えるようになりました。
一般病棟に移り、さらに退院しても自分でできるように、もうこの段階から訓練が始まっていたのです。
ナースコールを押しても、来てくれるのは30分も経ってからというのも、あたりまえとは言いませんが、覚悟しなければならない、ということもわかりました。

東大病院の看護婦さんを悪く言う患者さんもいますが、手抜きではないし、冷たいのでも意地悪なのでもないのです。みんなホントにいい人です。(いい子になりました。すいません。キツイ人も確かにいます。いやな奴も。相性もあります。約一名、妻がある質問をした時の対応にプッツンしていました。長女もその時いたのですが、やはり怒っていました)
ただ、大変な患者の状態を見ながら、同時にそのほかのことを何から何まで面倒見るのは、あのスタッフの数ではやりたくても無理というのはあるでしょう。
話は違いますが、僕にかかわってくれた人の名前はみんな覚えておこう、と思い、ネームプレートをみて覚えていました。みんな命の恩人です。彼女たちにとっては、これが日常で当たり前のことなんでしょうが、初体験の僕にとってはやはり大変な経験です。
 ある時、そんな話を看護婦さんにしたら、「みんな一般病棟に移ると、ここのことは覚えていないんですよ」と言ってました。(へえーそうなんだ。だから冷たいんだ)
 そんなことはない。ほら、ちゃんと覚えてる
ただ、一般病棟に移ったり、退院したら、ICUやHCUに顔見せには行けないのです。
親族以外立ち入り禁止ですから。行ってみて気がつきました。
看護婦さんにとっては忘れられたも同じことです。
(顔を見せに行けない、ICU、HCUのスタッフのみなさん、本当に面倒をかけました。ありがとうございました)

 一般病棟へ

 そんなこんなで、再手術もなく、特別に悪いこともおきず(僕にとってはみんな「特別なこと」ですが)順調な回復で、3月10日、一般病棟に移りました。
はじめは個室です。
いくらとられるんだろう、と思いましたが、治療上の必要性からということでお金の心配はいりませんでした。「バイキン、ウィルスが入ってこないように、気圧が高くなってるんだよ」とモノシリなだれかが言っていました。へーぇ。
 翌11日、手術から2週間目。
 血栓の心配が一応なくなりました。大きな山を越えた日です。
「急性拒絶」の可能性は「一ヶ月以内」と書いてありましたが、コーディネーターは「もうないと思いますよ」と言ってくれたので、少しほっとしました。